わたしがクラブシンガーしてた頃の話🎙
こんにちは~☀️🌈だんだんと日差しも強くなり春の訪れを感じられるこの頃です。
今日は、私が歌を歌っていた頃の話です。
18歳くらいからオリジナル曲のバンドを2年くらいやったあと、
20代は、六本木や新宿などのライブハウスでバンドのボーカルをしてました。
アメリカンオールディーズ、といって60年代~70年代あたりの洋楽です。
アイク&ティナ・ターナーの「proud mary」とか、
ダイアナ・ロスの「if we hold on together」
とか、好きでした。
逆に、誰もが知ってるであろう「君の瞳に恋してる」が嫌いでした(笑)
でも歌わさせるんだよね~😂😂
小学生の頃から歌手になりたくて、
歌手になるにはテレビに出るしかないと思っていたのですが、
18歳の頃、銀座にある『ケントス』というライブハウスに連れていってもらった時に
わぁ~✨こんな世界があるんだー❗️
テレビに出なくても、こんなにお客さんと近くて、楽しく盛り上がってる場所があるんだー❗️❗️
とワクワクした覚えがあります。
それ以来、その『ケントス』で歌手になりたくて。
どうしたらなれるんだろう??
バイト雑誌で募集してる??(笑)
そんなわけないんだけど😅
そんな気持ちでバイト雑誌を探してみたら、あったんですよ❗️
『ライブハウス21世紀』ボーカル募集が❗️
・・・まぁ、『ケントス』ではないけどいいや❗️
と、昔から行動だけは瞬足だったので、すぐに連絡し即オーディション。
ちなみにその『ライブハウス21世紀』は、平井堅の出身ライブハウスなんですけど。
一度お会いしたけど、背が高くて小顔でした。
それで、その『ライブハウス21世紀』で2年くらいやったかな~。
18歳のころのバンドでかなり声量を伸ばしてたので、私は声量が武器だ❗️と思ってました。
ちなみに「腹から声を出せ!」ってよく聞くと思うんですけど、
女性はなかなか出来ないんですよね。。
お腹守るためかな??
分からないけど、男性の方がすぐに出来るようです。
それから紹介で、エルビス・プレスリーのバンドのボーカルとして勤務(笑)してました。
バックコーラスやったり、プレスリー以外の曲も歌ったり。
横須賀米軍基地で年末にやってるクリスマスパーティー。
盛り上がってるアメリカ軍人の前で、日本人がアメリカンオールディーズを歌う、という
なんとも滑稽な絵面🤣🤣🤣
今だったらとても出来ない😣
でも若い頃ってのは怖いもの知らずですよ(笑)
そんなこんなしながらも、ずっと心の中で『ケントス』でやりたいなぁ。と思っていたら、
とある人の紹介で即オーディションしてもらえることに❗️
あれだけCD音源とか資料渡しても音沙汰無しだったのに、
知り合いの一声で、即オーディションなんだ・・・
まぁ世の中、コネ・人脈、そんなものなのだろう。。
と何となく察しました。
実はそれまでは、CD音源とか資料を当時の女性ボーカル捕まえて渡してたんですよ。
そしたらその知り合いに、
「ライバルに渡して通るわけないだろう⁉️お前はバカか❗️」
あ、そりゃそうだわ。。みんな引きずり落としあってる世界だわ💦
な~んて、自分の浅はかさが露呈してしまうという😅
ケントスから「今日から出れる?」の連絡が突然かかってきて、やったー❗️と思っていたんですが・・・・・・・・・・・・
その時、お腹に赤ちゃんが出来てたんですね。。
私の父親には、
なんで行かないんだ❗️あれだけ行きたがってた、夢が叶ったというのに❗️バカもの❗️
と、悔しがってくれました。
母親は、クラブシンガーのような水商売をさせたくない派なので、内心喜んでいたように思います。
「すみません、今日は行けません」
と。
そこでいったん、夢が途絶えてしまいました。
しかし、そこは私ですから(笑)あきらめないのです😅
性懲りも無く❗️妊娠8ヶ月の大きなお腹を抱え、まるでふとっちょ黒人シンガーのように🎙
出産後はベビーカーシンガーですわ😅
当時は、色々な方の協力や理解のもと、シンガーする事が出来てました。
しかし、クラブシンガーって昭和な響きだな(笑)今なんて言うんだろー??
でもねー、やっぱり。
小さい子を抱えながら、自分のコンディションを保つことはなかなか難しかったです。
若い頃のとっぽい雰囲気、
歌は私が一番なの❗️
ツインボーカルでも私がメインなの❗️
一番上手いの❗️❗️❗️
に、陰りがみえたというか、
隣の女性ボーカルに、負けた😔と思う瞬間がありまして😅
その日からステージ辞めたんですよねー。
昨日の記事でも書いたけど、
自分の商売を支えてるのって、
経験から来る『確たる自信』と、
自分のメンタルを強く保つ『はったりの自信』と、
エイヤー❗️❗️の『度胸』
だったりするわけですよね。
どれか一つでも欠けると、ステージでは震えて歌えない、そんな気がします。
私も辞めた時には、
やめたくないけど辞めざるを得なかった
ではなく、
自信がなくなった
でした。
ステージでの自分の限界、というか、
その辺りが着地点だったんだろうと思います。
そして、気がついた点は、
『自己満』だった、という事でした。
見に来てくれているお客様が盛り上げてくれていい気になってるシンガーだったと思います。
今考えれば、お客様はお金を払って来てくれているわけですから、
自分の学芸会を見せる、ではダメということ。
どんな仕事でもそうですが、
いかにお客様に満足してもらい、
次も見に来たい❗️
元気もらいたい❗️
ワクワクする❗️
と思ってもらえるかが大事だった、って事です。
まだそこまで考えが至りませんでしたし、
商売としてのメンタル知りませんでした。
今の知識のまま、あの頃に戻れたら・・・
な~んて思う時もなくも無い(笑)
今の集客のしかたを実践したら、毎回ライブハウスを満員にさせることが出来る❗️かもしれないね(笑)
若い頃は怖いもの知らずですから、
知識をひけらかしてみたり、絶対負けない❗️
っていう気持ちや行動など、
それが自分を成長させてくれたりします。
なので、失敗を恐れずにどんどんチャレンジして、
知ったかぶってハッタリかましていったほうがいいと思います。
だって『度胸』なんて、そんな時にしか養えないでしょ。
もっと大人になれば、その時の経験が役に立つ日が必ず来ますから~👍
そんな風にして、経験し葛藤し、嫌われ好かれ、20代のクラブシンガー時代を過ごしてました、って話でした(笑)
ちなみに、2年くらい前に昔のバンド仲間からボーカルまたやってみない?とお誘いがありまして🙏🏻
脳みそは昔の体力・イメージのままなんですが、一曲終わる度に息が上がってしまって(笑)
こりゃ、ダメだ😅😅😅と感じた30代最後の冬でした。
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