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Design Scramble Cast#7 上町達也さん

「Design Scramble Cast」はデザインプロジェクト『Design Scramble』が運営する、参加型の音声番組です。
毎回様々な分野の第一線でご活躍されているクリエイターの方と、そのクリエイターと「お話がしたい」と応募してくださった若手クリエイターの方をお迎えして対談の様子をお送りしています。
こちらのマガジンでは、対談の内容を一部抜選してご紹介します。対話の全編は、音声番組「Design Scramble Cast」をぜひご視聴ください。

今回ご出演いただいたのは、上町達也(secca 代表/プロダクトデザイナー)さんと、大日方伸さん(積彩デザイン事務所 代表/デザイナー)です。

上町達也さん
金沢美術工芸大学卒業。カメラメーカーのデザイン部を経て、「secca inc.(株式会社雪花)」を設立。
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1. それぞれの視点を導く、指揮者としてのデザイナー

上町:株式会社secca代表の、上町と申します。元々大手製造メーカーの工業デザイナーとして働いていたのですが、どんどん消費されてしまうものづくりに自分の感覚が合わなくなってしまって。もっと価値ベースでものをつくって手渡していきたいという、シンプルな思いで金沢をベースにseccaという会社を立ち上げました。seccaでは大きく二つの事業を行っており、一つ目は自社のアトリエで企画、開発、デザイン、製造販売までを一貫して行なっています。二つ目に、自分たちが培ってきた考え方や技術を生かしてデザインを求めてくださるパートナーの方から受託する形でデザイナーとしてお仕事をさせていただいています。

大日方:積彩デザイン事務所の代表をしております、大日方と申します。元々慶應義塾大学で3Dプリンターとデザインの研究をしていて、当時はCOLOR FABというチームで作品を作っていました。今年の春に大学院を卒業したのを機に、仕事としてやってみないかということで、現在は積彩デザイン事務所として3Dプリンター専門のデザイン事務所をやっています。

僕たちの事務所は3Dプリンティングを扱うデザインとして、デザイナーだけではなくエンジニアも重要になってきます。seccaもデザイナーだけではなく、職人やアーティストなど様々な領域から人々が集まっていると思うのですが、その多様性からはどのような効果が生まれてきているのでしょうか。

上町:色々な人が集まると、やはり視点がそれぞれ違うんですよね。僕の意見でいうと、例えばデザイナーは一番俯瞰して見ている立場だと思います。指揮者みたいな仕事ですよね。世の中が求めていることを感じ取って、どういうモノや体験があれば社会に良い結果をもらたすのか。そしてそれがどのようなカタチであれば受け入れられるのか、さらにそれを社会と接続するコミュニケーションの部分など、全体を指揮するような視点を持つのがデザイナーだと思います。

一方で職人はモノと対峙する時間や意識がすごい強いので、僕らデザイナーが作ったフレームワークのなかで、徹底的にモノの可能性を探求することに没頭してもらうほうが気持ちよく仕事ができる傾向にあります。。
また、アーティストは、未来に起こることを予知してみんなに共有するような技能を持っている人たちだと思っています。世の中に問いかけたいことを、形や言葉にする視点を担っています。普段からこの三つの視点でモノに触れ合いながら議論をしていくことで、結果的に僕たちらしいこと今求められていることに近づいていける体制になっているかなと。

大日方:今のお話のように一つのプロジェクトの中に色々な人がいると思うのですが、プロジェクトが動くときそれぞれの役割が作用する順番があったりするのですか?どのようにコラボレーションをしているのか気になります。

上町:社内の話でいうと、なるべくスタートラインは同じにしています。例えば今明治神宮で展示しているアートピースは、saccaとしてお声がけいただいた際に一旦みんなで話しました。議論の得意不得意ではなく、同じベクトルを向きつつ違う視点を持っている仲間たちが、自分たちなりにどうやって形にしていくのかという指針は、徹底的に合宿形式で議論をします。最初を一緒にやるってすごく大事で、作業工程をリレー形式にしてしまうと目的の共有が浅くなってしまうんですよね。議論していく過程のなかに、目的を共有していく時間があると思うんです。

2. 自分で作品を作り続けることの大切さ

大日方:なるほどです。デザイナーは指揮者というお話がありましたが、例えば僕の場合、作品に添えるたった三行の文章を書くことに一週間も使ってしまうことがあります。その間に僕のパートナーたちはごりごりにものをつくっていて、自分は何をしているんだろうなって思う時があります。

上町:その悩みめっちゃわかりますよ。もともと僕も、モノの魅力を上げていくデザイン職人的作業をしていたので。自分の手を動かしてつくることが好きで独立したんだけど、結果やりたいことを突き詰めていくと、嫌でも会社っぽくなっていかざるを得ない部分はあると思います。本当はずっと手を動かしていたいんだけど、僕までそれをやっていたら仕事をとってきてコンセプトを考え、それを伝える部分までをやる人がいなくなってしまうので。僕は誰よりもseccaのことを愛している自信があるので、僕自身がそこをやらないと回っていかないなという自覚もあります。まあでも本当は、手を動かしていたい欲求との戦いはずっとあるんですけどね。つくる側で創業した人って、結構同じ悩みを持っている人は多いんじゃないですかね。

僕の相談者に銭屋さんっていう日本料理屋さんがあるんですけど、ご兄弟でやっていらっしゃるんです。代表のお兄さんの方は、銭屋さんという看板を背負いながらも世界中でゲストシェフとして招かれて日本料理を独自の視点と思考で伝えていく活動をされています。一方で弟さんは、板前長として銭屋さんを現場で切り盛りされている方なんですよね。当然お兄さんがお店に立つこともあるんですけど、そういう役割分担でやっているとどうしても料理人としての評価とプロデューサーとしての評価で、バランスを取るのに悩まれたみたいで。自分の軸足を見失わないように、自分だけの作品と言える料理を作り続けなければいけないと。そういうアドバイスを僕にも下さったんです。年に一個でいいから自分のプロジェクトを絶対やれ、みたいな。業種は違えど、とても共感するものがありましたね。

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▲ 明治神宮 神宮の杜芸術祝祭「気韻正道」出品作品 【A↔︎UN】(secca)

3. 自分という人間がつくるからこそできるもの

大日方:ものづくりの背景について今まで質問させていただいたのですが、次はものになっていく過程についてもお聞きしたいです。僕がやっぱり「seccaしびれるな」と感じるところは、常に新しくて、でもその新しさにも説得力がある部分で、それがとても好きなんです。新しさのベクトルがちゃんとseccaの目指しているところに向いているからこそなのかなと思うのですが、そういう点ってどういう意識から生み出されているものなのでしょうか。

上町:噛み砕いて言うと、自分たちが面白いと思えるかどうかに結局は集約されるかなと思っています。僕らの世代がデザインの教育で受けたことって、常に顧客中心で考えれば答えは自ずとでてくるでしょう、みたいなことでした。でも今の時代に移り変わっていくなかで僕が感じるのは、いかに個性を出すかが面白いんじゃないかと思っています。あと、過去の人のトレースをするだけでは、今自分がやる意味あるんだっけってなります。。とても勉強になるので学ぶんですが、そこを受け取ってかつ「今しかできないことってなんだろう」って考えると新しい技法の活用が自然な形で選択肢に入ってきます。過去の人たちが得られなかった選択肢のなかに可能性があると考えて模索した結果、新しい技法に行き着くケースが多いです。

大日方:すごくいいお話ですね...(笑)。僕は最近のデザインを考えたときに、「〜イズム」ってあんまりないかなと思います。全体で大きな流れに向かっていく意識が薄いなと思っていて。SNSの活用もありますけど、もう少しコミュニティがコンパクトで、そのなかで良いと思えるものをそれぞれ大事に育てていくイメージがあります。そういう意味でも、seccaが金沢という土地を選んで丁寧にものをつくっているのはすごく好きだなと思います。

上町:ありがとうございます。そうですね、文脈は結構大事にしています。要はアイデンティティーですよね。大日方さんの意見にもすごく共感するところがあって、自分の発信した情報を一秒後には世界中の人が見れる状態だと、国境や人種の差が徐々に薄らいできますよね。だからこそ個人のアイデンティティーが強く求められている気がしていて。昔以上に、自分がどういう生き方をしてきて、どういう考え方で、だからこういう土地でこういうモノをつくっているんだみたいな部分が、すごく魅力的になってくると思うんです。

大日方:そうですよね。物の価値も大事だし、ものをつくる人の背景も大事だなと最近思うようになってきて。そういう意味でsecca(雪花)って日本的な美しい名前じゃないですか。seccaがつくるものって、金沢らしさ、またはそれを越えて日本らしさ的な美を感じることがあるんですけど、作り手としてのバックグラウンドを意識することで表現する日本の美があったりするんですか?

上町:やはり自分って何者なのかって考えた時に、海外で暮らしたこともない自分が日本らしさにこだわることって、僕の中では自然だったりします。僕の人生を辿っていくと、僕が今まで体験してきたことや感じてきたこと以外に引き出しは無いなと思っているんですよね。なので僕から吐き出されるものはどう頑張っても自分らしくしかならないし、結果的にどうしても日本らしくなっていく。素直に自分の気持ちを吐き出すと日本らしくなるんだろうなと。かといって日本というくくりで作ることを意識的にあんまり考えていないですけど、上町とその仲間たちから出てきたものとして自分自身で素直に受け止めるというか。

大日方:なるほどなあ。でも上町さんが仰った自分のアイデンティティーを素直に吐き出すというのは、結構難しいことだとも思います。何かやり方とかがあるんですか?

上町:そのとき自分が一番良いと思う選択をし続ける以外にないかなという感覚はあります。若い時は、他人がつくるものに憧れていたこともあったんですけど、なんかでもそれってその人じゃん、みたいな。僕よりも素晴らしいクリエイターは山ほどいると思うんですけど、無理してそうなろうとしないのは、最近になってようやく発見したことです。


4. 変化していく時代のなかで心を動かすものづくりを

大日方:デザイン事務所をやるにおいて、よく大きな目標を聞かれることがあります。世界をどう変えたいんですかとか、歴史においてどういうことを成し遂げたいんですか、みたいな。でもどうも自分に当てはまらないことが多くて。素直に自分たちが面白いと思ってつくっているだけ...。もちろんそれぞれに意味はあるんですけど、それらを全部をまとめて世界を変えたい、みたいには思えなくて。seccaって何かそういう目標があったりするんですか?

上町:難しいですよね。僕は世界を動かすような能力が自分にあるとは思えていないんですけど、バタフライエフェクト的なことは意識しています。少なくとも僕たちは「人の心をどれだけ動かせるか」をずっと考えていて。モノの価値ってなんなのかって考えたときに、ただ存在するだけでは価値がないと思っています。例えば河原に行った時に、星の数ほど石ころは落ちていて、一緒に歩いていた大切な人がそれを手に取って、「あなたのために選んだ石だよ」って手渡してくれた瞬間に、その石ころが他より価値を持つ気がするんです。

そうやって、人とモノとの関係ってシンプルにできていると思っています。人の心が動いた瞬間にモノが価値を持つみたいな。なので、なぜつくるのかって問われた時に「その人の心を動かす」っていう目的を達成するためにつくってるんです。そうやって可能な限り多くの人の心が動いた結果、なんかしら影響が出るじゃないですか。考え方がちょっと変わるとか。日常の行動にちょっとだけ変化が生まれてまたその先に変化が生まれてってなると、最初の変化はとても小さいかもしれないけど、世界をちょっとだけよくすることに繋がるといいなと。漠然としてますけど(笑)

大日方:そうですよね、それでいいんですよね。なんか僕は今、結構勇気をもらいました。アカデミアでやってきたのもあって、デザインの流行り廃りみたいなものに否応なく影響を受けてしまっている感覚があります。最近だとつくったものが長期的な視点からどう地球に影響を及ぼすかを考えなければいけないとか。もちろん大事なことなんですけど、今はそれがあまりにも強すぎちゃって。もっと純粋に面白くて感情を揺さぶってくるような体験をと思いながら僕らは部屋の隅っこでつくっているんですけど、でも一方で部屋の中央では「世界や地球のことを考えて」っていう議論がなされてて。それにちょっと後ろめたさみたいなものを感じていました。

上町:そう感じるのは健全だなと思います。極端なことを言うと、僕は自分のつくるという行為には意味がないと思っています。どのみち地球はなくなるし、いつかは塵になるし。だから残すことって目的になりえなくて、もっと目の前にいる人にどう良い影響を与えるかの方が意味を感じるというか。ただ、その環境とどう共存するかみたいな話でいくと、目の前にいる子どもたちの未来を考えたときに、それは自分ごとで解決すべきことに間違いはないので、そこにデザイナーの役割があると思います。「こっちの方向にみんなの感覚が動いたほうが、多分良い未来になると俺は思う。」みたいな。

大日方:なるほど...。なんだか頑張ろうと思いました。

上町:ものづくりをしている人は、常に自分がいてモノがあって相手がいるという構図になると思うんですけど、結局その人たちから評価されなければ仕事にもならないですよね。また、時代が変われば感覚も変わってくるじゃないですか。今だったらコロナの前後で人々の価値観は変わってきているわけで。なので社会の環境と、みんなのマインドと、自分とモノっていうのは流動的に動いていく方が自然な気はします。ただその中でも確固たる自分の変わらない部分は、同時にずっと自問自答していると思うので。

大日方:僕は結構、自分、もの、相手をファクターごとで考えていたんですけど、上町さんのお話を聞いていると、シームレスにお互いが溶け合っている気がしました。勉強になります。


5. 昔の手法を再解釈しながら新しい時代をつくっていく

上町:富山デザインコンペティションで、大日方さんがどうして「積彩」を作ろうと思ったのかも気になります。

大日方:実は今日のお話が全部繋がっていて、特に「昔の人が手に入れられなかった新しいツールを僕たちが持っている」のと「日本性」の話になってくるんですけど、僕は前から平安時代の人々の色彩感覚が今の人たちより非常に優れていると思うことが多々ありました。例えば平安時代の宮中は、「襲の色目」っていう日本固有のカラーパレットを持っていて。四季折々に変化していく色に対応して、自分の着物の色を合わせたりしていたそうです。自然の移ろいと自分を、全部ひっくるめた現象として色を捉えているのがすごいなと思ったんです。しかもそのカラーパレットでは、すごく三次元的に色を考えているんです。でも表現方法が当時は2D的なものしかなかったので、その感覚を現代的に、例えば立体的に形と色を考えることができる3Dプリンターでそのまま表現することができたら、すごく面白いものができるんじゃないかと思いました。

それでコンペに出したのは、細かい凹凸とその面によって色が違うシンプルなもので、見る角度で色が変わる驚きを生み出せるものができました。そうやって「昔の色彩感覚よかったよね、今は廃れているよね」じゃなくて、今ある技術で再解釈してアップデートできたら、現在やこの先の人たちの色彩感覚も変わっていくと思うんですよ。そういうことをやっていたりします。

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▲「富山デザインコンペティション 2020」でグランプリを受賞した3Dプリント作品「積彩」

上町:すごくおもしろいです。アプローチがとてもいいなと思っていて。僕たちって、大量生産の方法を手に入れて、多くの人が質の良いモノを手にできる時代の恩恵を受けている世代じゃないですか。そうやって資本主義の論理がものづくりに合わさった時に、いかにお金を産むかの方にどんどん行ってしまって。最大限コスパが良いものをつくるための思考で溢れた結果、ものづくりもすごく効率化したじゃないですか。色々開発もされたので一見選択肢が増えたようにも思えるけど、ある種自由度もなくなったというか。このつくりかただと採算あわないから駄目みたいな感じで。そこにきて、3Dプリンティングっていう今までのファシリテーションから逸脱した世界の中で、こういう現象的なものをつくってしまうのはこれからの転換期にすごくエポックメイキングなものだなと思います。思考が手法に制限されていたことからの解放のように感じました。

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上町さん、大日方さんありがとうございました!🌈
Design Scramble Cast」ではその他に以下のようなお話をしています。
興味のある方はぜひこちらから聴いてみてください。

💭  デザインと時代性
💭  大日方さんが起業にいたった経緯

📮 Design Scramble Castへの参加者を募集しています

「Design Scramble Cast」では毎月1つ、対談を配信予定です。
また、憧れのクリエイターさんと「お話ししてみたい」「相談してみたいことがある」という若手クリエイターの方も募集しています!
参加希望の方は、Googleフォームからぜひエントリーしてください。

それではまた、お会いしましょう👋🌷

Design Scramble Cast 公式サイト:https://designscramblecast.jp/


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