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自分から何も聴こえない、31歳。

ふと、最近全然文章を書いてないなと思い、私は久々にこの真っ白いnoteの投稿ページを開いた。

ワクチン接種2回目による39.6℃という人生最高熱を乗り越えて、このパンデミック下で新しい日課となったハンドドリップで淹れたコーヒーを飲み、やっと頭の中がハッキリしてきたところだ。

MacBookを膝に置いて、一人がけのソファに座り、Spotifyでスローなカフェ音楽を流す。横の大きな窓辺では愛猫が気持ちよさそうに転がって時々鼻息を立てている。こんなゆったりとした空間とは裏腹に、私の心はざわめきだっていた。

いつまで“今”を続けられるだろう?

私は偶然にも、会社員からフリーランスに移行した時期とこのパンデミックが重なった。ちょうど大きな働き方の移行タイミングだったため、そこまでパンデミックに翻弄されなかったのだ。フリーランスは初めてのことだし、失敗する前提で動いており、周りとのコミュニケーションや所定の手続きなども不慣れなのは当たり前なので学習していく段階だった。

そして、フリーランスになって1年半以上が過ぎた。
やっと少し落ち着いてきて、生活にも慣れてきた。そして、何よりも今の状態がこれまでの人生の中で一番心身ともに安定している。これには自分でも正直驚いた。フリーランスになって、ここまで働きやすく、自分にあったペースで仕事ができるとは思っていなかった。

だからこそ、この状態を継続できるか、すぐに手放すことになるのではという不安がある。このパンデミックが終わったら?自分のスキルが劣って業界で使い物にならなくなってしまったら?と。

そもそも”私らしく働く”とは?

ここで、その私の不安と向き合ってみたい。
私が、会社員からフリーランスに移行したことで得たものと失ったものがある。

得たもの「心身を休ませる時間」

今回フリーランスになったことで、自分にとってとても大切だったと気付かされたのが何よりも「自分に合わせた時間の使い方」だった。

週5、1日8時間は、世の中の一般的に決められたルールだ。自分をそのルールに合わせると、パフォーマンスが保てず、心身ともに崩れることを、さすがに8年も会社員をやっていれば気づいていた。その8年間でどうにか出来ないものかと、やれることだけのことは試したと思う。最終的には、そのルールを変えれる立場に近づこうと足掻いたが、半年とも経たず身が持たなかった。私のフリーランスになったタイミングはここだった。一度、足掻くことをやめてみることにした。

今はというと、働くのは週3日を基本にしている。週5日働いている方は驚くかもしれない。だからといって、週の残り4日を趣味など有意義に使っているかというと、そんな憧れるような生活はしていないのも言っておこう。1日は溜まった家事で潰れるし、2日ぐらいは心身回復のために何もせずに過ごしてしまう。やっと残り1日で何かできるかもしれない、というぐらいなのだ。そして、なおかつ私はPMDD(月経前不快気分障害 Premenstrual Dysphoric Disorder)が酷いので、月1回は丸1週間不調のときが多い。そう考えると、私が月に自由に使えるのはせいぜい3日ぐらいなのである。

これでちょうどよく、仕事でもしっかりパフォーマンスを出して働けるペースなのだから、よく今まで会社員をやっていたものだと自分でも驚いている。同時に相当無理をしていた働き方だったのだと気付かされた。

失ったもの「居場所」

会社員の時に無理をしていたのだから、もちろん私にプライベートな時間の確保などの余裕はほぼ皆無だったのは改めて自分でも頷ける。だからこそ、恋人ができてもトラブル続きだし、友人とはすぐ縁が切れた。そんな20代を過ごしていた。そんな私の唯一の居場所となったいたのが「職場」だった。

でも、フリーランスになるということは、どこにも属さないことになるので、その居場所を失ってしまう。今までフリーランスに踏み切らなかったのもこれが大きいのかもしれない。何より、どこかに帰属できていることで、自分が貢献できるていることが喜びだった。「ああ、自分はここに居てもいいんだな」と思えたのだ。他に居場所がなかったから。

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いざフリーランスになってみてどうなったかというと、寂しさは全くなかった。むしろどこか開放感さえある。誰かのために必死にならなくていいんだ、と。これまで、こんなに自分のために動いて、自分自身に意識を向けたことがなかったかもしれないとさえ感じるのだ。

フリーランスになって、「職場」という依存先が無くなり、自分のペースを得て、私はいつになく“自分”へ耳を傾けているのかもしれない。自分という存在に集中できている。

自分から何も聴こえない

いつまで“今”を続けられるだろうという不安は抱えているのは、いつか変わるものだと、なんとなくわかっているからかもしれない。それはパンデミックだからとか、フリーランスだからでもないことを。

今、自分へ耳を傾けているけど、正直何も聴こえやしないのだ。
それは、塞ぎ込んでしまった高校生の時と何も変わっていない。

誰か特定の人を幸せにしたいと思わないし、世界を救いたいとも思わない。
何か成し遂げたいこともない。
何か特別なことをしたい訳ででもない。

だからこそ、それが私なのかもしれないとさえ思う。
私の人生にドラマチックな展開なんていらない。
目の前のちょっとしたことを楽しんだり、ちょっとしたことに幸せに感じて、そのまま心穏やかに生を全うしたい。

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大きな夢はなくても、諦めたくないラインは持ってる

もちろん夢や目標を掲げて活躍する人は、とても素敵だと思う。
私もどうせ働く時間が人生の中で長いなら好きなことをするのを諦めたくなくて、デザイナーの道に進んだ。
大きな夢や目標はなくても、私はおそらく、これまでそんな「諦めたくないライン」だけは決めて進んできたのかもしれない。だからこそ、めちゃくちゃ辛くても歯を食いしばって乗り越えてこれたことがたくさんある。

私がとくに夢や目標を持たずとも、仕事でスキルを身につけられていっているのもここにあるのかもしれない。自分の軸というか、自分のラインだけはしっかりそこにあった。軸と違って、いつも足元にあるから気づくにくい。そんな存在なのかもしれない。

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今も、もしかしたら、足元にラインがあるから、自分から何も聴こえなくて。
そう思うと、私はやっとスタートラインにいるのかもれない。

このラインを超えて、何もないまっさらな道を思い描くのがただ怖くて不安に感じているだけなのかもしれない。それは高校生の時の私と変わらない。

運動会で緊張して頭の中が真っ白な状態でスタートラインに立った時のことを思い出す。

心臓の音がもはやバクバクしてるのもわからない。
まわりの音も遠くて、世界が眩しくみえる。
自分の足が土を踏んでいる感覚がない。
大勢いるはずなのに、スタートラインに一人で立っているような気がする。

私は今度こそ、このラインを超える勇気を持てるだろうか。
31歳にして、私はやっと自分の道を走れるのだろうか。

高校生の時と今の私は違うのだけは確実にわかる。
だからこそ、今のままいけば、気づいたらもう走っている最中かもしれないと前向きな考えさえ浮かぶ。

毎日、何かしら不安だけど、喋らなくなった自分に耳を傾け続けよう。
そして、これが好きかい?あれが嫌いかい?と話しかけ続けよう。
それがやっと新しい働き方で手に入れた、私の大切な時間であり、次の新しい生き方だ。

最後まで読んで頂きありがとうございます。頂いたサポートは私の癒やし担当、愛猫シャーロックの胃袋にしっかりおさめます!