デザインレスを目指して
自己紹介
はじめまして、金澤です。
ニックネームはざわっちです。
1982年生まれ、3歳の子どもがいます。
中高生向けIT教育を手掛けるライフイズテックという会社にいます。
初期はデザイナーとしてロゴ / Webサイト / パンフレット / ポスター / グッズなどを手掛け、現在はカリキュラムのマネジャーとして、プログラミング・デザインなどのLX設計(※)、教材制作を担当しています。
※LX
Learner / Learning Experienceの略です。
学びにまつわる全ての概念(時空、論理、感情など)を包み込む概念です。
▼詳しくは弊社取締役 讃井の記事にて
https://note.com/sanu0822/n/ncb98e1bb2155
デザインレス(DESIGNLESS )
デザインの仕事をし、デザインを教え続けて15年以上になり、ずっとデザインについて考えてきました。
10年くらい前にフリーランスとして独立するにあたって、ドメイン(●●●.net)が欲しくなり、考え抜いた結果出てきた言葉が「DESIGNLESS / デザインレス」でした。
design + less = デザインされていない(されている)
モノづくりにおいて、デザインはします。
関わる人全てが幸せになるようにコンセプトを考え抜くし、1ドットにまでこだわって制作します。
人、社会、世界をよくするのがデザインの役割とした時に、デザインはどこにでもいて、どこにもいない状態になるのでは、と思いました。
「デザインの在り処」「デザインの目的」は、プロダクトやそこに関わる全ての人に融けて、意識されなくなる。
そんな状態をよしとしたモノづくりがしたいと考えています。
良寛さんに教わる
この言葉を思いつくきっかけは良寛さんでした。漫画「おせん」「ギャラリーフェイク」で知ってから、色々調べました。
青空文庫より、北大路魯山人 著「料理芝居」より引用します。
良寛は「好まぬものが三つある」とて、歌詠みの歌と書家の書と料理屋の料理とを挙げている。まったくその通りであって、その通りその通りと、なんべんでも声を大にしたい。料理人の料理や、書家の書や、画家の絵というものに、大したもののないことは、われわれの日ごろ切実に感じているところである。
しからばこれはなにがためであろうか。
良寛のいうのは、料理人の料理とか書家の書というようなものが、いずれもヨソユキの虚飾そのものであって、真実がないからいかんといっているに違いない。つまり、作りものはいけないということだ。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001403/files/50007_37756.html
以来、「虚飾としてのデザイン」はすまい、「デザイナーのデザイン」はすまい、と思ったわけです。
ただ、これが大変難しい。
いろいろ作ってみても、なかなか下心を捨てきれません。
幸い今はグラフィックデザインから、学びのデザインをさせていただいているので、見た目に囚われず、真心をもって学習者に寄り添いたいと思っています。
noteでは、自分に影響を与えた作品、デザイナーを紹介したり、自身が制作した作品の裏側を記録できればと思います。
よろしくお願いいたします。
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