お互いの心に何かを注ぎ込むのが恋愛だとしたら②【自己隔離4日目/14日間 in Canada 】
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その人は、メールの返事をするということを通して、愛情を示さなかったけど、誰よりも私の心の叫びをメールの文面から汲み取ってくれていることが分かっていた。いわば、分かりやすい行動で私に愛情をくれる人ではなかったけど、私が本当に必要な時、誰よりもしっかりメールを読んで、短い文章だけど、心のこもったメールをくれた。
「愛情って、優しい言葉とかではないんだな」
綺麗な響きのする言葉を言うことが、必ずしも愛情ではないと気づいたんです。彼の愛情(ほとんど、人間愛に近いものだと思う)は私の想像を超えていました。綺麗な言葉を言う方が、行動で示すよりも簡単だし、優しい人に映る。でも実は、全然優しくなんてなかったことに気付きました。
優しい言葉をかけてくれていた人が、守って欲しい時に真っ先に逃げるのを見てきた私としては、彼の行動の方がよっぽど男らしい、かっこいい、って思いました。
彼は、読解力が高くて、人の心を見通してしまうところがありました。
まだ頑張れるのにもう頑張れない、心が砕けそうだ、と私が弱音を吐くことをものすごく嫌がっていました。そんな時は、必ず無視されます。
弱音を吐かせない、って聞くと、「一体どれだけ鬼なの?人間の心あるの?」って思われるかもしれません。
彼は、私が本気で潰れそうな時は絶対に助けてくれた。私がまた自分の力で立ち上がって、一歩でも前に進めるように手助けをしてくれた。絶対に、自分に依存させたりしなかった。
相手を自分に依存させる方が、物事の解決が簡単な時ってあるじゃないですか。では、依存できる相手がいなくなった時、一体その人はどうなるのでしょうか?
依存することで、表面的な物事の解決をするという行動パターンを身に付けてしまうと、もう一人で立つことはできなくなります。
人や状況は変わるもの。
「離れたいのに離れられない」
そんな風にしてしまった人の責任は重いと思います。
相手の代わりに問題を解決してあげたら、何も学べないし、成長を止めてしまう。問題を解決する方は、「相手のため」といいながら、実は自分のためであったりする。相手を助けることが自分の心の救いとなっている人、いたりしませんか?
そういうことはしなかった。
厳しかったけど、私に本当の意味で自立すること、「自分の問題を自分で解決できることで得られる自由は大きい」と、教えてくれた人。
お互いのタイミングがずれ、もう会うこともないのだけれど、彼が私に残してくれたものは計り知れない。
共感力にはものすごく欠けていたので、無意識で相手とシンクロしてしまう私にとっては、思い出すとキツイ思い出もあったりする。
だからこそ、私が心から愛せる人はどういう人なのかを学んだかもしれない。
私は、どんな人でも可能性ってあると思う。
その人が信じることのできない可能性を、静かに見守りながら信じること、倒れそうな時には、本当に必要な助けを差し伸べて、また信じて見守る。そんな関係を作っていきたい。
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