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胎界主第一話『使い魔』感想

凡例

・初読者が、当該話数までを読んで得られたテクスト内在的な作品関連情報のみを頼りに作品の世界観を推測しつつ、感想を記す
・持ち前の知識を推測に噛ませるのは可とする
・テクストに忠実な読解を志向し、テクスト内在的な解釈を心掛ける
・ノリと勢いを第一とするが、テクストの尊重というノリ(矩)は踰越しない


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第一話 使い魔 の感想

1頁

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 赤ん坊が手にしているクローバーと銀髪のシュッとした人物が手にしているクローバーが連続したコマで描かれているから、この赤ちゃんが「稀男」で、銀髪の人物も「稀男」だろう。本物の「稀男」はこの世界にいないというので、カギカッコ付きの「稀男」にしておいた(以下では面倒なのでカギカッコは省略する)。「この世」にいない、と書かずに「世界にいない」とあえて書くのは、(可能世界という場合のような)概念的な「世界」がこの作品のキー・ポイントになるからだ、と予想してみる。深読みかもしれないが、こう考えると、以下の解釈が可能になる。すなわち、この作品では複数世界が前提とされていて、本物の稀男は別の世界にいる、または別の世界の存在が稀男になった。「本物の稀男はもうこの世界にいない」との言明から「本物の稀男は別の世界にいる」(または「別の世界の存在が稀男になった」)との言明はストレートに引き出せないが、複数世界の仮定を挟めば、後二者の含意を想定できる。「本物の稀男」は両親が生んだ人間としての稀男ということだろう。赤ん坊がゲラゲラ笑うという異常な描写の割に、「?」を発している赤ん坊は素朴。同一人物っぽくない。人格の連続性が絶たれているのか、それともクローバーを近づけるという行為に誘発された赤ん坊のゲラゲラ笑いが稀男が盗まれたことの徴憑になっているのか(追記:見返して、1話の最初の2頁(0001-001)を見落としていたことに気づいた。この2頁の描写からすれば、後者ということになる)。稀男が盗まれた、と述べているハデな見た目の人物は誰? また、盗んだ主体は誰なのだろう。

2,3頁

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 稀男がレストランに入る。「亡くし屋」として恐れられている。「人、だけでなく生物を、触れるだけで逝かせてしまう」のが「亡くし屋」らしい。

4頁

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「アニキ」が「アンダルシアの犬」見せてやろうか、といっているのは、実際の映画冒頭で牛の眼球を切り裂く場面に絡めているのだろう。稀男がアニキにふれる直前に描かれた情景は、稀男から見るとこうなる、というものだろう。あちこちにただよっている球体は、第一部タイトルの「アカーシャ球体」かな? 人間の上のリングは何かわからない。あ、アカーシャ球体の模様、冒頭のよくわからん人物の模様に似ている。これは何か関連がありそう。アカーシャはインド哲学における世界の構成要素、アリストテレス風にいえばストイケイオン(英語でいえばエレメント、日本語でいえば元素)だから、稀男には世界の構成要素が見えているのか? 球体だから、点粒子のアナロジー? このアカーシャ球体が見える能力が、「亡くし屋」の存立基盤なんだろう。アカーシャから類推した「世界の構成要素」を自然に物語と絡められる以上、この作品における「世界」概念の重要性、という推測は大きく外れてはいなさそう。

7頁

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 「胎界」との概念が出てきたから、世界概念の重要性の推測はそこまで外れていはいないっぽい。魔物(魔王? 悪魔? とりあえず魔物で統一)の「胎界」とあるから、ある存在が所属する世界が胎界と呼ばれるようだ。

12頁

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 胎界主とは、「強大な運ぶ力」の持ち主のことみたいだ(と思ったが、これはベリトが求めている胎界主の属性なだけで、胎界主の一般的な特性ではないことが18頁で判明した)。

16頁

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 カラフルな球体がアカーシャ球体で合ってた。アカーシャ球体は、ベリトみたいな魔物であればこそ見えるものらしい。ベリトはアカーシャ球体と欲望を介して人間の「たましい」を翻訳できるというから、その人間の欲望に応じて、その周囲のアカーシャ球体の分布が変化してくるのかも知れない。ベリトは「運ぶ力」を持った胎界主を探しているとのことだから、胎界主のアトリビュートとしては他の「力」もあるようだ。ところで、おそらく稀男にもアカーシャ球体は見えている。とすると、稀男はベリトみたいな魔物と、この点では同格なのだろう。

 アカーシャ球体が世界の構成要素だとする推測を敷衍すれば、ベリトが用いているフォイゾン(生命「素」)やアビュッソス(生成「素」)はアカーシャ球体の一種なのだろうか。うーん、でもアカーシャ球体は物理法則の「外」にあるというから(14頁)、世界を構成している訳ではないのか……。

20頁

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 この占い師は、戸的君に魔物召還(召「喚」じゃないのが気になる)マニュアルを売りつけた(7頁)人物みたいだ。で、占い師は、戸的君はバルバトスを召還する想定だったらしい。しかし、戸的君は「ベリト」の名を口に出しているし(7頁)、ベリトも自分のことを「ベリト」(9頁)と称している。ベール派の陰謀らしい。


 (追記)ここは引っかかっていた。というのも、なぜ戸的君は「ベリト」の名を口にしたのだろうか? 自然に「ベリト」の名が出てくるとは思えない(戸的君の言動からして、意図的にベリトを召還したくてした、という感じがない)。占い師の発言からすると、戸的君がバルバトスを召還する「細工」が施されていたはず。まず、マニュアルに書いてあったとすれば、占い師はベリトを召還させる気はなかったのだから、「ベリト」と表記されているとは思えない。何者かが「バルバトス」を「ベリト」に書き換えたのだろうか。だが、マニュアルには「召還させたい魔物の名……高らかに叫べ」とあるみたいだから(7頁)、魔物の選択は対象者の裁量に委ねられているはず。とすればもう一つ考えられるのは、なんらかの上位存在(ベール派関係者?)が戸的君の思考に介入して「ベリト」と言わせた、ということ。これが「間違えさせた」という占い師の発言の真相なのかな。占い師のことばからすればベリトはベール派? 「標的の胎界主」(12頁)というベリトの発言からして、ベール派は取り敢えずこの世界に来たかったのだろうか。

23頁

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 胎界が異なるベリトみたいな魔物が稀男や戸的君の世界で肉体的な「形」を持つには、「たましい」による名付けが必要である。この「たましい」は人間(いま作品が語られている世界を胎界とする存在)の想像力だという。
 ここでは、「たましい」は言語で現実を分節する能力として捉えられていると考えられる。言説的思考によって分節される前の世界(シニフィエ、ともいえそう)は、言語によって分節化されることで、人間の掌中に収まる。こうした言説的思考の根源が「たましい」で、胎界を異にする魔物はこの世界では実在性が希薄ないしは無い渾沌としたものだから、召還者の想像力と言説的思考によって初めて分節化され、取り扱える「形」として出てくる。だからこそ、この世界に召還される魔物たちは「たましい」を重視する。「渾沌七竅に死す」とはいうものの、むしろこの作品の魔物たちは人間の思惟作用を経ることを望むようだ。
 占い師がいう「言葉の力」(20頁)とは、「たましい」に因る言説的思考の力を指すんじゃなかろうか。人間は「たましい」に因る言説的思考を用いて現実を分節し、占い師いわく、「言葉の力」を誤用すると未来と過去に影響が生じる。言語能力は、一種の現実改変能力として捉えられているみたいだ。これが未来と過去にわたって時間的に影響してくる理由はよくわからない。
 世界の複数性を仮定しても、この「たましい」をもつのは人間だけのようだ。
 この作品で描かれるベリトの姿は、コラン・ド・プランシーの『地獄の辞典』に載っているベリトの姿とほとんど同一だし、23頁4コマ目の本はおそらく『地獄の辞典』である。「「姿かたち」は大昔から……」とは、ベリトの姿形が『地獄の辞典」などによって流布してきたことをいうのだろう。ここでは人類の集合的無意識が語られているのだろうか。

25頁

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 胎界主になれるのは「たましい」を持っている人間のうち特殊な者、ということだろうか。どうも、他の世界は数あれど、「たましい」は人間に唯一無二のアトリビュートらしい。

28頁

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 稀男は「強大な運ぶ力」の持ち主のようだ。ベリトの標的だったのは稀男ということか。

31頁

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 稀男がいう「真実」は1頁の謎の人物が言っていた「真実」と係っているのだろうか。

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33頁

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 稀男が赤ん坊の頃から持っていたクローバーを捨てる。稀男の世界転移に関する過去との訣別?

出典:無料Web漫画 胎界主第01話『使い魔』(最終閲覧日:2019年10月18日), http://www.taikaisyu.com/01/index.html

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