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新メンバーのご紹介

はじめまして。ACTANTの伊集院琢磨です。
僕は、アカデミックでデザインリサーチとファッションを専攻したのち、印刷会社やFab施設を経て、 ACTANTに参加しました。ここでは自己紹介ということで、自分語りに関連する「北坂戸・東高円寺」「hedi slimane」というテーマで、これまでの軌跡をご紹介できればと思います。

北坂戸・東高円寺

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僕は人生のほとんどを主要都市名の「上下左右」の街でしか過ごしたことがありません。

育ちは川越、ではなく西川越。
高校は坂戸、ではなく北坂戸。
大学は湘南、ではなく湘南台。

中心の街のブランドの雰囲気感を漂わせつつも、伝統や文化と呼ぶほどの浸透はなく、おそらく住民にどのような街かを問うと全員微妙に異なる回答が返ってくる、朧げな地域イメージで作られているような街です。僕はこの「上下左右」の街が好きなので、魅力を頑張って説明してみようと思います。

例えば、北坂戸にはミニップ(ミニストップをそう呼んでいた)があります。一見するとただのコンビニなのですが、店内にある5人ぐらいしか座れない飲食スペースが、なぜか学生・主婦・高齢者のミニ交流スペースになっているんです。学生がおじさんの話し相手になって、かわりにジュースを買ってもらえたり、世代超えた交流が日常的に起きていました。

ミニプも鳥伊勢もその地域を象徴する場所ではありませんし、特異な場所なわけでもありません。けれども、こういう場所と微かに漂う中心地の匂いを自由に結びつけられるところが、「上下左右」の街の良いところなのではないかと思っています。逆に言えば、木を見て森を想像する楽しさがあるわけです。地域で共有される確固なイメージなんてないですし、どのように結びつけたって、誰も何も文句は言いません。好きなように、都合がいいように自分の出身を説明することだってできます。引っ越しを考えていたらぜひ、中心の上下左右を候補に入れてみてください。

hedi slimane

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大学ではファッションについて勉強していたのですが、そもそもファッションを意識するようになったのは小学6年生の時でした。当時習っていた楽器の発表会用に母と服を買いにいったら、なぜかタイトスキニーを激推しされ、推されるがままに試着してみたわけです。すると、ただでさえガリガリで細い僕の足がさらに際立って、母からは鶏の足だと笑われました。この鶏足事件は、いたく恥ずかしい思いをしたと同時に、ファッションへの息苦しさを持つきっかけとなりました。ちなみに、後に知ったことですが、当時はhedi slimaneがDiorのクリエイティブディレクターに就任して、スキニーブームの真っ只中だったようです。

そういったこともあり、大学ではファッションについて学びたいと思って、学内で唯一ファッションデザインを研究対象に含んでいた水野大二郎先生の研究室に入ったのですが、なぜか課題図書はクリッペンドルフの『意味論的転回─デザインの新しい基礎理論』。他大学の建築学生との合同ゼミ(今思うと、川添善行さん、藤村龍至さん、門脇耕三さんなどかなり豪華なメンバーな合同ゼミ)、沖縄共同売店や大阪味園キャバレーのフィールドリサーチなど、ファッションとどんな関連があるのかわからないことが大半でした。なので、最初はクエスチョンマークの嵐でしたが、徐々にファッションにしろ、建築にしろ、問題解決者としてのデザイナーの存在や系譜を学ぶことが楽しくなり、興味もそちらに向いてドタバタしてたら僕の学生生活は時間切れになりました。

その後、印刷会社やFAB施設を快速急行並みの速度で通過してったのですが、各所各所で問題の本質と向き合えてないような違和感があり、同時にそこにこそ関わりたい思いがあって、気がついたらACTANTに辿り着いていました。まだ働き始めて2ヶ月弱で、勉強の毎日ですが、どことなく「上下左右」の街と似た要素があって、楽しく働けています。

散文的な挨拶になってしまいましたが、以上自己紹介でした。
これからもどうぞよろしくお願い致します。