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ウーピー備忘録

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twitterに投稿した#ウーピー備忘録をまとめたマガジン
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#ラジオネタ

定期的な振り返りの必要性

2019年も終わる。(笑) 今どんな状況だったかな……? オモシロイな。達成しているものもあるけれど「これ別にやらんでもええよな~」がチラホラ。 自分の性格は自分がよくわかっている。その時は夢中だったけれど、というやつの熱が冷めた感じ。でもそれがわかるのもこんな風に残しているから。 今からは2020年をどう楽しくやるか?何をすれば今より楽しく生きられるか?それを考えて計画を立てようと思います。

終わりが始まり、っていう話

人生初。やりたいと思っていたイベントを本日開催。自宅に戻り、お礼や感謝を伝えるメッセージを書いていた時です。 「終わりが始まり」というハイヤーセルフからのメッセージ。 イベント開催は私にとって、新たなスタートだったということです。イベント主催がゴールではなくその先がある。そこが何かまだきちんと見えてはいないけれど。「拡張」です。枝葉がどんどん伸びていく。どんどん拡がっていく。人の輪やビジネスの輪。 誰でも簡単に開催できて、成功する、つまり収益のあるイベントを作ることができ

本当にそうなのか?まずは疑ってええんちゃうのって話

何か最近小さなミスを連発することが多い気がしたので、何かヒントはないかなとネットで調べてみた。「ストレスや鬱が原因」みたいな記事があった。 ほんまか?それなら私は鬱ってことか? 事実かどうかわからんことを…… どこから引っ張ってきた事なんや?根拠は?となる。 私は何かを書くときはまず調べる。そして一つの記事ではなくいくつもの記事を読む。そうしないとそれがほんまの事なのかがわからないから。 もしかしたら100記事を読んでも、すべて間違いかもしれない。 そのくらい、世の中の

出会いは必然。なぜ出会ったのかを考えてみたことありますか?というお話

インターネットでラジオ番組を持ってから、自分から関わっていくことはなかったよな、と思うような人・業種・業態の人に出会うことが本当に増えました。 今までは、出会いは偶然で、それが「ご縁」だと思っていましたが、最近になって「必要だから出会う」だから「必然なんや!」と考えるようになりました。 これは決して一方通行ではなく、互いに「出会おう」としているから出会うという感じです。 例えば、数年ぶりにfacebookで見つけた旧友。 メッセージを送ってランチ。新ビジネスのスタートの計

バリ島クタから。なんであの子だけ?ビジネスの神様が微笑むかどうか。

今日は1月26日。今バリ島にいます。年に一度の里帰りみたいな感じ。初めて来たのが25年だったと思うので、もう長いですよね。 翌年に出会ったのがビーチの販売員たちのグループ。彼女たちは販売免許を持って販売しています。もちろん楽しい時間は過ごすけれど、もちろんビジネス関係は忘れない。お土産を持っていくし、彼女たちのランチを一緒にいただく関係だけれど、彼女たちからすれば私達はお客様。(笑) そんな彼女たちにもいろんな生活事情があります。 ニュースなどでも問題になっているクタビー

馬は100%出すと死ぬらしい。でも人間は150%出しても死なないのになぜ出さないのか?という話

なんだか最近タイトルが長くなってきたんですけど。(笑) でも今日伝えたいことはタイトルそのままです。 必死のパッチ。 大阪弁です。なぜパッチなのかわかりませんが、とにかく死ぬ気で頑張るという意味の言葉です。 私が思う「必死のパッチ」は自分が思う100を超える状態のことです。 なんでも器用にできる 普段の授業を聞いているだけで、試験勉強をしなくても好成績 運動神経がとてもいい 要領がよく1を聞いたら100理解できる と、世の中にはこんな人もいます。 そしてそういう人の

磯ノ浦の秘密

大阪サーファーにとってなくてはならない場所。私のホームグラウンドである磯ノ浦海水浴場。通称「いそこ(イソコ)」。 私がサーフィンを始めた35年くらい前にはすでにそう呼んでいたのですけど。つい先日、何かの拍子で見たウィキペディア。 なんとそこには 大阪からの海水浴場客の間では「イソコ」と呼ばれている。地元民はそのまま「いそのうら」と呼ぶ と書いてあるではありませんか!? そう言えばローカルの人は「イソコ」って言わへんなぁ。 なんで大阪の人だけが言うの? 知りたい、知りた

私の脳の悪い癖

ふと気づいてしまった「脳」の悪い癖について書いてみようと思います。 noteを開始して数日。 他の人のnoteを見て、twitterが埋め込める!? そんな機能があることに気づいたんです。 私はまず直感でいろいろやってみるタイプ。 そしてそれが意外とスルスルと、 「とりあえず」できてしまう。 わからない、と感じることが少ないから、 やりたいことができない状態にならないと調べようとしない。 だからいつもなんでも「そこそこ」。 「そこそこ」だからさらに「良い機能」があって