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『金閣を焼かなければならぬ 林養賢と三島由紀夫』内海健 河出書房新社

を読んで思うところをいくつか断片的になってしまいますが書き留めておこうと思いました。
私は三島由紀夫の小説作品が好きで『金閣寺』初読は中学生だったと思います。友人にはしばしば「オレが『金閣寺』読んでるときに三島が割腹してさぁ」と話してきましたがそれは少し怪しい気がします。凡庸な14歳の中学生があたかも三島の悲劇を予感していたかのように見栄を張りたいところからそんなデタラメを吹聴したのではないかと思うのです。でも半分は本当に読んでいたさなかに彼が割腹したような気もしているのです(嘘をつき続けると本当にそう思い込むという心理です)では果たして14歳の中学2年生が三島の『金閣寺』を堪能したか、と言われればそれには無理があるように思います。一つ言えるのは私は自分の感受性としては「読み好き」(仮にそういう言い方があるとしてですけど)ということなのか、ともかく言語の連続がたまらなく好きなのです。読むことは黙読という場合でも当然脳内の音声を伴いますが、小説には各々その作品に備わる言葉の選択される次元や音楽的リズムがあります。それを味わうことが何よりも楽しい。で、その嗜好をきわめて深く満足させてくれる小説作品として三島由紀夫のものは郡を抜いていました。やや近くに大江健三郎が居たのですがそれでもやはり三島が勝ちを制していました。そういう流れから中学2年生でも十分『金閣寺』は読み通すことができたのだと思います。後年大学生になって読書家だったN君が「ねぇ三島の『金閣寺』読んだことある?スゴいよ。一度読んでごらんよ」と私に話しかけてきた時に、例の「『金閣』読んでるときにさぁ…」をやらかしてました。N君は真剣に私に感想を求めるのですがその点では正確に言葉にならない私はドギマギして口ごもるしかありませんでした。改めて色あせた背表紙の文庫『金閣寺』を読みなおした次第です。

さて、当の内海健『金閣寺を焼かなければならない』です。
私は『金閣寺』初読時も再読時も作品中の「溝口」には興味関心をそそられはしましたが現実の、金閣寺を焼いた「林養賢」には一顧だに関心を持ちませんでした。思えば不思議なのですが現実の事件を扱っているわけですから読み手として「小説はともかく『事実はどうだったのか?』」という程度の興味は抱いてもいいはずですが、私の触手はそちらへは向かいませんでした。精神病理学者の目はさすがある種洞察に長けていると言うべきでしょう。
全8章、後書きまで入れて223頁ある本書のちょうど半分、113頁までが大まかに言って金閣焼亡に関わった林養賢について書かれておりその後三島由紀夫への記述に移ります。
私は医学については全くの無知ですので何とも言えませんが外科医の道具がメスならばさしずめ精神病理学者の道具は言葉、ということになるのでしょうか。当事者林養賢を解剖する上でも作家三島由紀夫を浮き彫りにする上でも徹底して用いられているのは「言葉」です。「当たり前だろ」と言われそうですが行為を説明する言葉と行為そのものを語る言葉が異なるように林養賢や三島由紀夫を語ることと彼らを病理的に解剖することとではやはり質的に異なっていると感じられるのです。そしてこの1冊は実に巧みに二人の相似と乖離が綴られているように思いました。林養賢は宿世とでも言いうる現実からの離陸を意図して金閣を焼いたのですが、三島由紀夫は焼かれた金閣=林養賢を書くことによって、林養賢の離陸=狂気に触れ、三島由紀夫=平岡公威に出会うのです。その中身のなさを埋め立てるために現実の(架空とも言いうる)三島は小説の好評とは別次元で「リアル」にのめり込んでゆくのです。曰くボクシング・ボディビル・剣道・空手…そして私設軍隊。

何かが「解決された」という所謂「カタストロフ」を感じさせる本にはなっていません。林養賢は結核を患わせて獄中死し、三島由紀夫は市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げてしまうのですから。それでも何かしらひとすくいの収穫を得たいと思うのなら、本書第8章のタイトルにもなった〈生きようと私は思った〉に尽きるかもしれません。

大学時代の友人N君が私に話しかけてきたことは既に書きました。私は再読後N君と、小説『金閣寺』や三島由紀夫について話を交換しました。その中で彼がなぜそんなに『金閣寺』に感動したのか尋ねたのです。するとN君はじっと私の目を見てこう言いました。
「だって『一ト仕事終へて一服してゐる人がよくさう思ふやうに、生きようと私は思った』なんて、これが小説のラストかよ! たまらないよ!」

その時、どれほどN君を愛しい奴だなと思ったかはもはや説明するまでもありませんよね。っていうか、N君、今頃どこで何してるのかな?