USBの「オスメス」という表現と性教育についての炎上から学べること

USBのオスメスの言い方と性教育の話がTwitterで盛り上がってるけど、まさにトーンポリシング(主張そのものではなくて、主張の仕方や言い方の指摘をすることで論点をずらし論破しようとすること)だなと思う。

個人的にはいわゆるツイフェミという人の主張にも十分正当性のあるものはたくさんある(中にはリベラリズム・人権の本来的な起源である資本主義を根本から否定するものもあるけど)と思っている。

ポリティカルコレクトネスの議論はどうしてもその主張をする人の態度が悪いとかそういう話になっちゃう。

でも主張そのものについて考えないとね。

最初に問題提起した人は、おかしいんじゃないかなと思ったことを書いただけなのにこれだけ叩かれてしまう。

僕もUSBのオスメスという言葉には違和感を持つし使わないようにしてる。もちろんそういう言葉を使う自由もあるから(なければ独裁国家と同じ)強要はしないけど「こういう考え方もあるよ」と伝えたりはする。


ちょっとだけ思ったことを付け加えると、こういう主張への批判を見てると、ある程度大人になっちゃうとどれだけ他人から批判を受けても「正しいのは自分」ってなっちゃうのかなって思った。

こんなことは本当なら当たり前だけど、尚更、できるだけ若いうちからいろいろな主張に触れられるようにしないと、もうどうもならんのかなあと悲しくなったりもした。

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