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反時代的であること(カート・ヴォネガット・ジュニア『プレイヤーピアノ』を読んで)

いつの時代にも、その時代の「流れ」というものがある。

今で言えば、AIやITなどの「技術進化」がその時代の流れを作っており、僕たちの生活はその進化に応じて、より便利に、より効率的になっている。

しかし、大きな恩恵の影には、いつでも多くの敗者たちがいる。

今日でもAIの進化によって無くなる仕事や奪われる業務などが、様々な場面で議論されているが、そのような具体的な負の側面、のみならず機械の進化が人間に与える精神的な面での影響も議論されて然るべきであろう。

このような今日の時代状況を予見し、先取りしていたかのような小説が、1952年に出版されたカード・ヴォネガット・ジュニアのSF小説『プレイヤーピアノ』である。

簡単にあらすじを説明しよう。
舞台は架空の世界線の近未来アメリカ、そこでは人間の仕事のほとんどが発達した機械によって肩代わりされている。
人間社会はIQによる階級制が引かれており、知能指数が高い者は技術者やマネージャーなどになれるが、低い者、つまり機械が肩代わりできるほどの業務しかこなせないものは、軍隊か、通称「ドジ終点部隊」の道路点検部隊になるしかない。
主人公はイリアム製作所の所長ポール・プロデュース博士であり、機械文明の生みの親的存在ジョージ・プロデュース博士を父にもつ、いわゆる技術者のトップエリートである。
技術者として順風満帆なキャリアを歩んでいた彼であったが、しかし一方、内面では今の時代に言い知れない不安や不満を感じながら、日々を悶々と過ごしていた。
そんな中、かつての技術者仲間で、天才ではあるが生来の反抗児フィナティーや、民衆の酒場で出会った牧師ラッシャーなど、現在の体制に反抗する人々と会話するうちに、自分が現在の社会体制へたしかに反抗心を持っていることを自覚する。
やがてポールはフィナティーやラッシャーらとともに、反機械革命を企てる組織「幽霊シャツ党」を組織し、賛同する市民たちと機械を無差別に打ち壊す暴動を起こす。

プレイヤーピアノを読んでいると、今の時代状況が抱えている問題を本当にリアルに先取りしている感覚があり、カード・ヴォネガット・ジュニアの時代洞察力には驚きを隠せない。

ポールたちの反抗が勝利で終わったのか、それとも敗北してしまったのか、それも非常に気になるところであるが、このポールという主人公自体も非常に魅力的だ。

彼はエリートであるが、潜在的には「反抗的性格」を有しており、最終的には今の時代とは逆行する立場に身を置かざるおえない、いわゆる「落伍者タイプ」なのである。

彼は時代の光よりも闇に、勝者よりも敗者に、思いを馳せてしまう感受性の持ち主であり、それは彼の能力とはまた別の、彼の性格であり人間性なのである。

もちろん、そのような「反時代的」スタンスの是非について、ここで議論するつもりはない。それはなかなか難しい問題である。

ただそのような性向の人間は、いつの時代でも幾分生きづらいのはたしかだし、時代の縁を歩く羽目にはなるであろう。きっとミーハーの方が楽だし、単に生きていくだけならより賢い。

しかし、ポールの友人フィナティーがポールに語ったこんな言葉が響くのも、また事実なのである。

「医者は俺をまんなかへひきもどそうとするだろう。ところがこっちは、落っこちさえしなけりゃ、できるだけ縁の近くでがんばっていたいんだ。縁にいると、まんなかでは見えないいろんなものが見える。」



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