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うつ病発症から現在に至るまで①

閲覧ありがとうございます。

今回から現在に至るまでの経緯を綴りたいと思います。

私たちは関西から就職を理由に上京しました。
2人とも新卒で就職し、会社員をしておりましたが、パートナーにとってこれが今に至るまでに大きく影響したと私は思っています。

就職した会社での配属先の上司よりパワハラ、モラハラを受けて、会社に行くことを拒み始めました。
最初は私もそんなに重く受け止めておらず、そんなの無視すればいい、と無理に送り出す日もありましたが、泣いて行きたくないと懇願する日が増えてきました。

そのうち会社を休みがちになってしまい休暇連絡も出来ない、したくない日が続いていたある日、パートナーから次の言葉を聞かされました。

「明日から休職することになった」

元々パニック障害のため通っていた精神科より「うつ病」だと診断され、診断書を産業医経由で会社に提出済みだと、私の帰宅と同時に説明されました。

まずはじめに心配になったのは、給料はどうなるの?でした。
うつ病だと診断された人にまず初めに質問することではなかったと今でこそ気づきますが、当時は私も一会社員、23歳の稼ぎでどう生活していくのかものすごく心配でした。

結論としては、はじめの3ヶ月間は全額給付ののち、2割減へと移行する大変福利厚生の整った会社でしたので救われました。
給料が払われることを確認し、私も胸を撫で下ろしました。

その後は毎朝私だけが出勤する生活へと変わりました。

正直最初は働いていないのに給料が貰えて羨ましい、私も休職したい、と思ったこともありました。こんな好条件な休職があるのはほんの一握りだと分かっていても、です。

理由は、パートナーは、私にはものすごく元気に見えていたからです。休日はお出かけもしたし、大好きなディズニーにも季節ごとに足を運び、まさに休暇を楽しむ人のようでした。

ですが、徐々にうつ病らしい症状が出始めました。
朝起き上がれない、日中も寝て過ごす、外に出たくない、など。

家にいるなら掃除や洗濯くらいやってくれてもいいのに、結局私が帰宅したあとゴミ捨てや洗濯など家事をこなす毎日。そう思うようになってしまい、私の負荷だけが増えてゆく毎日に私も疲れてしまったのです。スーパーが近くにないところに住んでいたことも関係し料理も面倒になってゆき、外食や宅配、コンビニで済ますことも増えました。

もちろん口論も増え、狭い部屋で住んでいたので私が家を出てしまうこともありました。そんななか、諸事情で引っ越しすることになりました。

それは、友人1人を加えての3人でのルームシェアでした。


今回は区切りのよさそうなこのあたりで終わります。
読んでいただきありがとうございました。

#中の人のコメント
なんだか物語書いてるみたいになってますね、、笑
全て過去の話なので物語のように思い出して書いているのかもしれません。
今に至るまで大変多くの出来事があったので断片的になっていますがお付き合いいただけますと幸いです。

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