ホン雑記 Vol.60「ゲロ戦記」
今日は珍しく強めの毒気が出た。
日中書いたFacebookにゲレゲレとメンタル汚物を垂れ流してしまった。
その直後にそいつをここにコピーして、今日の分のnoteは終わりにしてやろうかとも思ったが、既の所で大人のほうのオレが止めに入った。
あぁ、やっぱりもう1人要るんだなぁ。こういう時に。
子供のほうのオレもずいぶん大人になっているのか、悪口雑言を脳ミソの任せるままに書くことはさすがになくなったが、今日のは相手が悪かった。怒りというよりは、悲しみなのであった。
あぁ、もうこれ書くつもりだなオレ。まぁオブラートでグルグル巻きにしとけばいいか。
いやはや、やっぱり昨日の夜中にあんな本を読んだのがマズかった。
夜中にあんな本、と言ってもホラー小説の類ではなく、ただの… うーん? いや、まぁ、ただの自己啓発本なんだが、この出来があまりにも不味かったのだ。
こんなことがあるんだなぁ。
見るに堪えないものを見て、吐き気がするというのが比喩ではないと初めて知った。テンションはダダ下がり、力が抜け、生きる気力も半分ほど削がれて、Facebookまでやめそうになってしまった。危ない危ない。
それでもなお(不味すぎて)読み続けたもんだから、軽く血の気が引いてしまった。憤懣やるかたなさすぎて。
脳に酸素が行き渡らないので、そりゃぁ吐き気も催す。足先も冷たくなってきたのでホントに驚いた。久しぶりに寝苦しさを覚えたほどだった。
これらの身体的症状は比喩表現ではない。
それで自分が、およそ真実でない物や実力のない者の台頭を、衷心から忌み嫌っているのだと知った。別に優れているなら僻みはしない。むしろ敬服先を探して生きているところがある。
つらかった。あまりにも不味すぎて。関係者全般を恨みかねない勢いだった。
ザ・フォーククルセイダーズの加藤和彦は、
「世の中がもう音楽を必要としなくなったので、創作意欲がなくなった。消えてしまいたい」
と遺書に遺し、消えてしまった。
この言葉に込められた凄みは、「世の中が『私の』音楽を~」でないところだろう。「世界にはもう音楽が分かる人がいない」と断じて逝ってしまったのだ。昨日ほど彼の苦悩が臓腑に染みたこともない。
幸いオレは晩年の彼と違って鬱病を患ってはいないので、廃れるわけにもいかない。
1つ光明だと思えたのは、いみじくもそんなにオレが落ち込めたことだ。オレは別にオリンピックに出られなくてもまったくヘコまない。自分より音痴なヤツがメジャーシーンにいてもそれほどヘコまない。自分よりワル~いヤツが世の中を闊歩していてもわりかしヘコまない。
なのに、言葉が不味い者の台頭はこれほどに落ち込むのだ。
別に文系の道を歩んだわけでも、小説を書いてるわけでも、本の虫ってわけでもない。
なのに、これほどに許せないのだ。
ひょっとすると、麓らへんには居るのかもしれないなぁ。
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