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『おつむひらけば』Vol.4「逆」

さてさて、オレ的大好評の、10年前に書いてたブログの使い回しコーナー。

今日のは今までの中ではちょっと詩っぽい。あのブログの中でも一番のオキニかな。

タイトルにある「おつむひらけば」は当時のサイト名になります。


「逆」

父が亡くなってから、ウチにあるものが来た。仏壇である。
今まで祖父母の家ぐらいでしか見たことがなく、仏壇も墓もなんだか面倒くさいなぁと子供の時から思っていた。
家族から死者が出ると、そういうしきたりがいかに意味のあることなのかを瞬時に悟る。
祖父母4人と父親の5人セットで飾ってある。宗教的にこういう飾り方は問題あるのかも知れないが、セットにしてブー垂れる器の小さい人はこの中にはいないと思うので良しとしている。

仏壇が家に来るということは、当然自分までもウツ気味になっていくような状況の中なのである。死に方が死に方だけに、それはまぁしんどい日々が続くのである。

線香を上げ、電飾のロウソクを付け、チーンと鈴を4回鳴らすという、自分なりの儀式ができてくる。
そこで気づいたのが、仏壇周りにあるものはすべて五感を使うようなものだということだった。

遺影や金ピカの仏壇に目をやり、線香や花の香りを嗅ぎ、鈴の済んだ音を聞く……。

あらゆる気分の落ち込みは、五感を使い続けることでかなり軽減されるという。
仏壇周りにある小道具たちは、遺された者が落ち込まないようにするためのものだったのだ。
これは時間を隔てた、先人の祈りに似ていないだろうか。

天上にいる人の、今この時の幸せを祈って手を合わせていた。
でも本当は、先祖たちが遺された者たちの幸せをずっと願ってくれていたのだ。
生きている者が手を合わせるという行為を介して。


これ、意味伝わるんでしょうか。

生者が仏壇の前で死者を思って手を合わせていたつもりが、その行為自体がもう、先人(もちろん死者ではなく、生きていた時の先人)たちがあらかじめ考えていた、子孫の悲しみを癒すことになる(イベント化することによってイヤでも五感を使うから)しきたりだったという。

つまり、祈りは時を越えて、仏壇のむしろ内側のほうから行われていたということなんですけども。


うーん、本分と同じことを説明している気がしないでもないよう。

(クソみたいな駄洒落でとんずら)




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