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愛×金=

今日のnoteは過去イチの短さだ。
読む人にとっては、まぁ、それもいいだろう。


ここ数か月ずっと悩んでたのが、(自分から他者へのそれ。色恋じゃない。慈悲と言ってもいい)と、お金(不必要な分も欲しいという意味の)で、手に入れようとする行動のベクトルが矛盾するんじゃないかということだった。

今となっては幻想なのかもしれないが、それらはどうしても二者択一になってしまうものだとと思っていた。でも、どうしてもどっちも要る。どうしよう。

「愛の人になる」と強く思うほど、不必要な分のお金を手に入れたいと思う人の行動とは矛盾してしまう。それは何かを与えようとする行為だから。

「お金が欲しい」と強く思うほど、投資するにしても商売するにしても、同じことをしてる人間は頑張ってくれるなとどうしても思うわけで(隣にスシローができて喜ぶかっぱ寿司は居まい)、そうではないほとんどの場合を除けば(ラーメン横丁など)ゼロサムゲームなのが普通のお金の流れだと思う。

つまり、愛とお金の関係は(ちょっとズレるが)甘さVS厳しさ、利他愛VS自己愛みたいな感があって、二律背反は免れ得ない、と。


で、最近それらしい答えがポッと出たという話でしかないのだが、その答えが「寄付」なのであった。自分的にはたどり着いた感がハンパないのだが、はたから見たら「なんだそんなことか」なのだろうか。

とにかく、オレ的にはたどり着いた感ハンパないのだ。あ、フツーに2回言うてもうてるわ。

生涯目指すところを寄付にしておけば、金の亡者でありながら、愛の側面でもあるそれを人々に与え続けることができる。

誰より金の匂いを嗅ぎつけながら、誰よりそれを手放したい。
食欲も性欲も承認欲求も無くなるボタンがあれば今すぐにでも押したい。

豪遊したい欲求よりもそのボタンが欲しくてたまらない。
酒と寝たオレ(「時代と寝た女」みたいに言うな)が断酒できたのだから、そのボタンを心の中に作って押せないはずがない。はずがない。


なんか思っていた以上に意志表明になってしまった。
読み返してみると、中学生が書いたのかというような内容だなぁ。

ま、それもいいさ。




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