【今日のオレ名言】まとめ放出 Vol.4
ども。超ひよっこブロガーのでぽろんです('ω')ノ
みなみなさまの手で立派な鶏に育て上げてください。
さて、今日も書いてて一番楽しい、Facebookで毎朝1つ上げている【今日のオレ名言】を本人解説付きで放出するってーのをやっていきます。
このシリーズが僕のnoteのメインコンテンツでもあります。今決めました。
【今日のオレ名言15】
「なぜ生きなければいけないのか?」
「なぜ死ななければいけないのか?」
この問いの解きにくさはみんな同じなんだぜ
賢者だって 聖者だって
キラキラ輝いて見える憧れのあの人だってさ
世の中には色々な決まりごとがあって、あらゆる疑問や法則には、答えやとりあえずの見解が権威によって設定されていて、新参者が付け入るスキはありません。なんだかツマンナイんです。
でも、この2つの問いについては(1つとも言えますが)、賢者も落伍者も解きにくさは似たようなものだと思ったんです。「解きにくさ」なんて耳障りな日本語を使ったのは「答えやすさ」でないことだけは明白だろうと思ったからです。
自分が思慕する最高レベルにあるような人間でさえ、答えられない問い。
そんな問いがあることだけでも、なぜか勇気づけられる僕なのです。
ちなみに普段「だぜ」とか言わないんですが、薄っすらと自分以外の誰かに語らせられる感じも、創作物の身勝手で良いところです。
【今日のオレ名言16】
とうとう発見してしまった
三大欲求の上に どうやら至高の二大欲求がある
「知欲と栄光獲得欲」だ
三大欲求はそれらを行うためのただの継承の手段
子孫繁栄でさえも
言わば 全生命を持ってして 何かしたいってことか
#神のはしくれ
ハッシュタグのところは「もし付けるとしたら」のタイトルのようなものです。もし、と言いましたが、やっぱり正式なタイトルです。僕ひとりのこだわりに正式もクソもないんですが、決定稿です。
これは世紀の大発見でした。他人から見れば世迷言であっても、僕にとっては大事な確定事項なのです。「神のはしくれ」も。
「三大欲求」と聞くと、あまりに根源的で、あまりにも快感を得られて、なくなってしまうと生命維持できないものなので、これが生命の目的だと強烈に錯覚してしまいます。大人になってしまうと、この「緊急かつ重要な事柄」にとらわれてしまって抜け出せなくなります。
「いい学校に入らないと…」
「いい加減結婚しないと…」
「子供はまだなの?…」
「いつかはマイホームを持たないと…」
「地に足をつけて生きないと…」
「好き勝手なことしてちゃダメだよ…」
などなど…
しかし、これらはすべて錯覚です。こんなものは手段であって、これらの戯れ言は僕から見れば、眩暈がしそうなほどに世迷言です。
「本気で言ってるのか?」と思うんですが、「大人になったらこういうことを言ってかなきゃいけないらしいぜ?」というやり取りに、オンラインでもオフラインでもお目にかかったことがないので、おそらく本気で言ってるのだろうと、当てずっぽうで思うばかりです。(ホントに本気なのかな?)
命に時間があるのは、それが「手段」だからです。新しい命が誕生して、先代が死ぬのも、それが最善の方法だからです。細胞の入れ替わりと同じで、好きこのんで人間は80年ほどで死んでいるんです。ワザと。
時間を手に入れるために「生命」という乗り物があるのであって、「目的」は、その時間を使って「何をするか?」だと思うんです。
これは植物の頃からそうです(原子の頃からそうだという有名な尼さんもいます)。彼らは自分が形を変えてでも、時間的にも空間的にも自分を遠くに送ることだけを考えて来ました。
そして人間という、やりたいことをよりやりやすい形態にまで進化しました。この膨大な時間を紡いできた先祖たちの中に「~せねばならない」と思って生きていたヤツはいないはずです。「~したい」という想いだけが、生命をここまで連れて来たんです。
はっ! すいません。これを書いて初めて、ここまでこのエッセイに思い入れがあることを知りました。長くなりました。
それと、ここで言いたいことは、手段の目的化を全否定してるものでは決してありません。
「私は子を持って、いかにその子を愛せるかを知るためだけに生まれた」という願いを持ってやってきた魂もあったりするのかもしれません。
【今日のオレ名言17】
嫌いなものたちは 好きな物が壊れたり 好きな者との絆が断たれた時の 希望の保管庫なのかもしれない
それまでは見向きもしないように
嫌いなものはたちは 未来に訪れる苦しみを乗り越える時の力となるために 今の僕に嫌われてくれている
Facebookに上げる時に#をつけ忘れましたが、これもタイトルありで「180度」になります。
自分で言うのもなんですが、この発想の稀有さに後で読み返しても感心します。父親が亡くなって、もがくようにして生きていた頃に出て来たエッセイで、今のぼーっと生きてる僕には間違っても出て来ない切り口です。
平素の今読み返すと少し綺麗事が過ぎる気もしますが、当時は「本当にこうなってるんだ!」という大発見をしたような気分でした。それは大して真実じゃないのかもしれませんが、今見ても「なるほどなぁ」と思わされるので、そんなに間違ってもいないんじゃないかと自画自賛してしまうわけです。
ただ、本人には自分で描いた画の感覚はないんですけどね。
【今日のオレ名言18】
絶望のさ中にあっても 今生きている時点で小さな光は見えているのだろう
心はその光に全神経を傾ける それで今日も何とか生きていける
漆黒の海を行く舟が 灯台の明かりだけを頼りに ただ進んでいるようなものだ
だがこの途方もない大航海には ひとつ大きな弊害が付きまとう
「焦り」だ
どれだけ遠回りに見えても 明かりが自分の背後にある日が来ようと あなたの採った進路は 光への最短距離に他ならない
焦ってはいけない
焦ってはいけない
焦ってはいけない…
たとえその道すがら 絶望に絶望が重ねられても あなたが目を閉じない限り この光は消えることが無い
これもタイトルあったのに書き忘れてました。「紆余曲折の果て」です。
父親が亡くなってまっくら闇の中にいる状態に出来たエッセイ。
最高傑作のうちのひとつ。いくつあるねん。
でもホントにこれは自分を救ってくれましたね。
とにかく焦るんですよ。
焦燥感と劣等感と罪悪感がすごいんです。当時ニートですから。
で、自分を責め続ける。やり過ぎると父親の二の舞を演ずることになるので、その最悪の事態を避けるために、自分をいたわるようにするんですが、そうすると罪悪感がより一層パワーアップ。アクセルとブレーキを踏み続けるような日々でした。
とにかく焦ることだけはやめようと。ロクな考えが出てくることはないのだから。
途中、3回同じことを続けて書いているところに、自分への言い聞かせが窺えて大変健気です。これもよく浮かんだなぁ。まーた感心するわー。
【今日のオレ名言19】
オレの左耳たぶには変な傷があって軽く奇形だ
小4の時 やたらと気になりだして悩んでいた
母親に「なんで僕はこうなってるの?」と聞いたら
「神様がアンタを見つけやすくするためやで。どうしても気になるんやったら手術したら?」
心が弾んだ 傷は宝物になった
いやー、美しいですねー。これは説明不要でしょう。
言った本人は覚えてないでしょうが、言葉や人への対応って、大事ですね。そして、物語の持つ力の絶大さ。
「そんなのウソだぁ」といった疑いもなく真に受ける少年の存在が「それはホントにいるんだよ」と未来の彼に教えているようです。
ちなみにこのエッセイは、最初Twitterに上げて、その後Facebookにまとめで上げたんですが(さらにここでまとめるという使い回しなのです)、Twitterの時には最後の行が「傷『が』宝物になった」だったんですが、あとでFacebookにあげたほうでは「傷『は』宝物になった」に変更しています。
「が」のままだと、単に傷のことを述べているだけです。英文の冠詞で言うなら「a」のイメージですね。
ところが「は」にすると、「最初に述べてた悩んでた傷はその時、まさに宝物になった」みたいなニュアンスが強く出ると思うんですよね。冠詞で言えば「the」のイメージです。
高校の時、英語のテストで4点(100点満点)を取ったことがある僕なので、このたとえが的を射てるのか分かりませんが、まぁそういう感じです。
「ご存じ~」とか「かの~」といったイメージですね。
それと「は」のほうが時間経過を感じさせないですか? この辺は日本語の本に書いてないと思うんですけど、なんか「は」のほうがその儚さを感じさせるんですよね。「傷は~」の前に「やがて」とでも付いてきそうなニュアンスじゃないですか。ですか言われても困りますか。
意外とこういうこだわりがあったりするんですよー。というお話でした。
ということで、今日もダラダラと書き過ぎたので5つでおしまい。次からはもうちょっと駆け足でお送りしますー。たぶん。
ではまた('ω')ノ
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