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ホン雑記 Vol.16「命の循環 〜『映画 えんとつ町のプペル』を見て〜」

「映画 えんとつ町のプペル」を見に行ってきた。
案の定、物語の冒頭(プペルの心臓が落ちてきたところ)で泣いた。あと何回これが続くのかと思い、ちょっと気が滅入る。まだ2時間もある。

素晴らしい映画だった。
西野氏のオンラインサロンに入っているという肩入れも多少あるのかもしれないが、王道のストーリーには一切の文句もないし、ちょいちょい彼が映画を通じて伝えておきたいところなんか見えてきたりして「あぁ、いいなぁ」なんて気分になってしまう。
ある意味、この映画は彼自身の自叙伝でもあるので、昨日も書いたが、壮大な人間成長譚とも取れる。


たとえば、ストーリーにはまったく関係ないが、ちょっとした進行役のおしゃべり男が、敵軍の進行をその軽快な話術で足止めする場面がある。
聞いたことがある人も多いだろうが、働きアリに見られる「2:6:2」の法則。
アリの集団を観察していると、そのうちの2割が良く働き、6割は普通程度、残りの2割がよくサボるようになるという比率の話。どこの集団でもその比率になるので、最初の集団から良く働くアリの群れだけを隔離しても、その中でまた6割が普通程度、2割がよくサボる。
もちろん、最初の集団からサボるアリの群れだけを離しても、優秀な2割が作られる。
つまり、自然の摂理がそうなっていると。
「たとえ少数派になっても、その道で正解だからね」という西野氏のメッセージのように受け取れた。


ほかにも、主人公のルビッチがラストあたりで、今まで自分が父親に励まされてきた言葉を、自身より幼い少年に投げかける場面が出てくる。
あぁ、これも彼自身が伝えたいことのだいじな部分なのかなぁと思った。
それは言ってみれば「円環」ではないのか、と思う。

西野氏は最近、オンラインサロン内で自身の命の終わりを匂わすような発言をよくするようになった。決してマイナス方向の語り口ではなく、真摯に生を見つめる姿だろう。
彼も何度もくずおれそうになりながら、先人たちの言葉や背中に支えられてなんとか夢を捨てずにここまで来れた。
「不安ではなく希望の方を見ろ」。そうすればなんとか踏み止まれる。

今彼は自身がまわりの人間や観客たちにその姿勢を見せることで、自分がしてもらってきたことを伝えようとしている。
そして今度は、それを伝えられた人たちに「自分も後継にバトンを渡すのだ(夢が叶う側にまわるのだ)」と気づかせるために、ルビッチにラストのセリフを言わせたのではないか? と、勝手に命の循環を想っていた。


話はまったく変わるが、オレには父親が亡くなってからラッキーナンバーができた。
「1110」と4ケタで長いのだが、ホントに父が亡くなってからというもの、偶然とは思えない頻度で出てくる。
こういうラッキーナンバーのようなものがあるのかを気にした時、自分はこれで合っているのかと自問した時、その2回も偶然だろうし今出てくることはないよなぁと思った時、その数字がひょこっと顔を出す。

オカルティックな話かもしれないが、それからオレはこのラッキーナンバーを「自分にとって何か大切なこと」あるいは「それで正解だ」というメッセージだと勝手に受け止めている。

今日もそんなことがあって、1つ目の上映時間のほうはちょっとパンチが弱いが、2つ目のパンフレットのほうには驚いた。

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パンフは値段も知らずに買ったし、袋代で帳尻合わせてくるのもなかなかオツじゃないか。
オレにとっては、この映画の始まりから終わりまでがラッキーナンバーでくくられたように思えてくる。


「信じぬくんだ。たとえひとりになっても」
というルビッチのセリフは合っているんだよ、よく覚えておくんだよ、と教えられてる気がした。

占いや風水の類は信じないのだが、ラッキーナンバーについては父の誕生日なのでどうしたって信心深くなってしまうというものだ。




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