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ホン雑記 Vol.23「見過ごされる幸福」

おめでとうございま~す。
と、書いといて思い出したが、そう言えば最近、海老一染之助・染太郎兄弟を見ないなぁと思ったら、もう18年も前にお兄さんが亡くなって兄弟での出演はなかったのか。もうそんなに経つか。
思えば、正月の風物詩の中にしれーっと忍び込んでくれていたんだなぁ。


最近はやはり歳のせいだけじゃなく、年末年始感が薄まっているような気がしてなんとも寂しい。
感受性が落ちたせいだとばかり思っていたが、どうやらそればっかりではないらしい。

新春かくし芸大会が終わったのもデカいよなぁ。
30年ほど遡ってみれば、冬休みには深夜テレビで成人向け映画を流しまくっていた。冬休みには親がTVガイドを買ってくるので、それで成人向け映画を調べるのが幸せで幸せで仕方なかった。
これはやっぱり男子特有の奇行だったのだろうか。中学生当時にクラスの女子に聞いたら総スカンだっただろうが、こういう答え合わせをしてみたいよなぁと思ったりする。

ただのエロスならぬ、未知そのものへのワクワクが詰め込まれていた。
リビングの電気を消して音量「5」でコソコソ見る深夜番組は最高の幸せを届けてくれた。秘密基地感とでも言うかね。粉末のアップルティーとともにね。

冬休みに限らず、当時はテレビへの依存度は高かったなぁ。
「ねるとん→夢で逢えたら→イカ天」の夢のようなコンボが毎土曜日行われていて、ホントにテレビには足を向けて寝れん。ありがたやー。

あぁ、いい時代だったなぁ。
昔は良かったと言うのはダサい大人の代名詞らしいので、言わないように気をつけていたが、もうダサくて一向に構わない。
ダサいのを全部避けてるほうがダサいじゃあないか。

まぁ、どんだけダサくてもね、愛知五指に入る過去フェチ人間なので後ろ向きでしか生きないですよ。ワシは。


そんなことを考えていたら、そういやとんと聞かなくなった世間話があるなぁ、と気づいた。

「今年は年越せるかなぁ」というやつだ。
オレはギリ団塊ジュニア世代で、戦後間もなくってわけでもないんで、そうそう国民総貧乏でもなかったはずだが、冗談にしてもそういう物言いがあった。

でも今の若い子は「年末→出費かさむ→年越せないほど貧乏」なんて感覚すらないんじゃないだろうか。ま、家庭環境にもよるんで一概には分からんけども。

どっちにしろ、年々生活がラクになってきたことだけは間違いない。
ウチのオカンが「お好み焼きがご馳走やった」とつい最近言ってて、まぁビックリした。今そんなもんがイベント時に出てきたらテンションダダ下がりだろう。

ところが、お好み焼きがおやつレベルになって、毎日は無理にしてもいつでもフルコースを味わえるぐらいの生活レベルになっても、幸せが当時の3倍とかいうことにはなってないんだな。

なんなら1000年前と比べてもそうそう幸福度は変わらないだろうし、むしろ人が不幸を感じるスピードは遥かに上がっているだろう。

推測でしかないが、今の大人が出社時に自分のデスクの上に花を飾られていたら、7割ぐらいはその日のうちに鬱になるんじゃないか。オレはなる自信ある。こういうダメージには子供のほうが強そうだ。


新年早々何を言うねんという話だが、「足るを知る」で暮らしていこうと改めて思うところなのである。

ことよろ。




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