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ホン雑記 Vol.40「愛憎」

これはナンテンの葉っぱである。
さて、何枚あるだろうか?

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これこれ、そこのアータ。いちいち数えんでよろしいがな。
答えは見た通り、2枚である。

これ、マジなのだ。
葉っぱの1枚は、落葉(らくよう)時に茎からはがれる部分で定義される。
1枚の葉っぱの、なくなっていった部分がこのスペースになっているのだ。ちょっと分かりづらいかもしれない。


たとえば、これはコナラの葉。

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これがカエデの葉。

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そして、ナンテンの葉。

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そういうことである。2番目のコナラに見られるギザギザを鋸歯(きょし)というが、これがだんだんエゲツなくなってきてフィヨルドのようになってしまったのがナンテンなのだ。

コナラとカエデは単葉、ナンテンのような種類のものを複葉というが、複葉の中の小葉(しょうよう)が普通に単葉の形をしてるところが恐ろしくないですかこれ。神様ってばホントやることがエゲツない。
複葉全体を見ると単葉の形のようになっていて、そこが元々は「あった部分」なのだと分かる。元々といっても、その頃はもうナンテンですらない別の植物なんだろうけど。
フラクタル図形になっていて、そこもまた神の御業っぽい。宇宙はコピーしたがるから。

あぁ、学ぶってスゴい。遊ぶと同じところにあるんだ。


で、まったく違う話になるんだけども。
ホントこの国の教育をヨロシク思ってないの、オレ。

中学から普通に行ける高校の中で、1番アホなとこに行ったオレが言うことじゃないのかもしれないけどさ。教育ともう1コは企業の面接。
いや、分かんないから。お前らみたいなモンが誰を採っていいのかなんて。集まった素材でウマいことやれや。あれ? 急に態度ワルなったぞ。おかしいな。

いかん、面接どうでもええわ、教育のほう。

いつかのnoteで、三大欲求の上を見つけた! それは至高の二大欲求で、「知欲」と「栄光体験欲」だ! みたいなことを書いた。
どんなクズみたいなヤツでもこれが最上位にあると。

で、この「知欲」を満たそうとする本能、歩きたいとか、外に出たいとかそういうのと同じ。食欲よりも本当は上にあるもの…… この「知」に触れたいという感情がホントの「学び」なわけですよ、オトナさん。

でも今の教育は(もちろんそれだけじゃないし、間だいぶスッ飛ばすが)お金を得ようとするためのものでしかない。(そのくせ経営者になる方法は教えてもらえない)

教育が、真の「学ぶ」ということを補佐するものになっていない。
レールを見せられ、塾に通わされ、最も学びたくない子らを作る。もちろんそうじゃない良い子もいるんだろうけど、まぁオレは無理だったね。

他人の「知りなさい」は、本人の「知りたい」をブチ壊す。
だからある意味、手のかかる子のほうがマジメだったんじゃないの? と過去の自分を正当化しようとしているオレもいる。多々いる。


とはいえ、オレはこの国の義務教育課程の…いや、高校の先生もそうだな、彼らを途轍もなく尊敬している。
この国の未来(子供たち)がどこに向かうのか、その舵取りに最も大きく携わる仕事の1つだと思っている。

かといって、その責任と重圧を1ミリとて感じてもらいたくはない。聖職者とも、国の操舵手とも思っているが、期待を寄せているわけではまったくない。

数十年経ったのちに、お礼を言いに師を訪ねたくなることがある…… こんな仕事が他にあろうか。


いつも有り難うございます。




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