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【今日のオレ名言】まとめ放出 Vol.7

ども。超ひよっこブロガーのでぽろんです('ω')ノ
みなみなさまの手で立派な鶏に育て上げてください。

さて、Facebookに毎朝1つ上げている【今朝のオレ名言】
その中でも「ちょっとお気に入り」以上のエッセイを本人解説付きでお送りするメインコンテンツでありんす。



【今朝のオレ名言32】

食べ物はタダ
リンゴを食べる時 豚を食べる時

流通する人間にお金を払うだけで 製造者であるリンゴの木や 親豚にはビタ一文払っていない

産まれて来るのもタダ 死ぬのもタダ

タダなんだから最初から失うものなど何もなかった

なぜリンゴと豚なのか。いえ、特に意味はないんです。
ただ、なんとなく、リンゴは原初の木みたいなイメージがあって、豚のほうはトラックに載せられて運ばれていく悲しい風景が浮かんだもので。

この解説文を書いている今、豚の食肉加工の様子を調べてしまったんですが、余計悲しい気持ちになるだけでした。当然ですが。

可哀そうだとかそうではないとか、生きていくのに食べなきゃ仕様がないとかそうではないとか、いただきますを言うべきだとかそうではないとか…
是非を論じるのは置いておくとして、ただ、知っておきたいなぁと思って画像検索してみました。

大昔なら自分の命を賭けて、獲物を仕留めてその命を喰らっていたわけで、今はその過程がゴッソリと抜け落ちている。それは太古の人の胸中にあった想いも経験していないことになる。だから、ただ見て知っておきたいなぁと思ったわけです。

ここまで書いておいて、このエッセイの解説から思いっきり逸脱してることに気づきました。最初から失うものなんかないということがテーマだったんですが、喩え話の豚のほうに引っ張られてしまいました。今回は解説はいいでしょう。

そう言えば今しがた晩御飯に豚肉を食べました。
有難うございました。



【今朝のオレ名言33】

すべての人が自分に確たる自信を持っていれば 心のままに生きていけば 戦争はなくなるだろう

他人より自分が優れていると思わなければ 劣っていると思わなければ 戦争はなくなるだろう

思うべき所はまったく逆なのだ
あなたを貶める声に耳を貸すな

#自己中のススメ

いつものごとく、ハッシュタグのところは「特段つけるとしたら」のタイトルです。

心理学者アドラーの教えにこんなものがありました。
とある母親のおさな子が友達にオモチャを貸してもらったとして、次は自分の子がその友達になにかオモチャを貸してあげる「べき」と思うのは間違っていると。当然、その友達の母親が「あの時こっちは貸してあげたのに!」なんて思うのは論外だということになります。

その時にやりとりは終わっているのであって、その施しは相手の未来を縛るためのものではないはずです。一見、上記での期待は常識的に見えてしまいますが、言われてみればその期待はおかしいぞと気付かされました。
確かに、そのやりとりがイヤなら最初から断ればよかったのです。

このエッセイの解説に、このエピソードを持ち出すのが妥当なのかは分かりませんが、心のあり方の源流は結構近しいと思って挙げてみました。

「べき」を相手に強制しようとする。そのことが関係にほつれをもたらすのだと思います。

心のままに生きたらいいのだと思います。
そして反論は出るでしょうが、僕はそのことにおいて「人様に迷惑をかけないのは当然ですけどね」といった類の但し書きを添えません。



【今朝のオレ名言34】

近頃巷ではお金より時間が大切だとよく聞くようになった
だから「時は金なり」がスッと入ってこない
下位のモノに例えてるから

近頃時間の上位を見つけた
「感情」だ
同時間で浮かんだ 閃きと 思考と 感情の振れ幅と揺れる数を増やす
そうすれば長く生きてるのと同じだから

今見直せばキラーワードは意外にも「下位のモノに例えてるから」だと思いました。後半部分は割とフツーのことを言っていて、たとえ300年生きようと「無味乾燥な人生だったなぁ」と悔やみながら棺桶に入るなら、それはそれは虚しいわけです。

そういう意味では、このことわざが出来た時代よりも、現在のほうが時間の価値を人は重く捉えているんだろうと思います。ネットでお金の勉強をしていると、不思議と「時間が大事、時間が大事」というセリフをいろんなところで見かけるようになりました。

ところで、せっかく上位の概念を見つけてもなかなか実生活に即したものになっていません。すぐ忘れるからです。
そして時間をもムダにして、今日もまたぼーっとしたりしているのです。してるつもりもないんですけどね。



【今朝のオレ名言35】

人は一度愛してしまったら
生き別れるか死に別れるかしかない

それでも…

死別の悲しみは万人が思うところでしょうが、それが人並みよりちょっと酷すぎるのではないか? そんなことを人生で数百回は思って来ただろうひ弱な男の嘆きの詩です。

ついには「いやいや、嘘だろ?」と自然の摂理を疑うところまでいきました。「生まれるだけ生まれて、その後無限に死ぬこともない。たまたま誰も成し得ていないだけで、そういう方法がホントはどこかにあるんだろ?」と。

ちょっとおかしくなってたんだと思います。何かどこかに方法があるはずだと思ってました。
馬鹿みたいに考えあぐねていたら、とあるチャチな思考実験を思いつきました。それによって、悲しいかな死の摂理は絶対だということが腑に落ちました。

それは「左端はあるが、右端はない1本の棒」のイメージでした。これが頭に浮かんだ時、100%逃れようもなく生者は必滅するのだと悟りました。そんな棒は在りえないのです。いや、普通の人はこんな遠回りしなくてもハナっから悟ってるんでしょうけど。

悟って愕然とするわけですが(こんな遊びをやってるのがいい大人だということにも)、それを認めるわけにはいかない。そんな思いから出てきたのが、最後の「それでも…」だったのです。
別に「だが」でも、「しかし」でも、「でも」でも(ややこしいな)良かったんですが、とりあえず逆接の言葉をすぐに置いておかないと落ち着かなかったんです。そして望みもあると思ってます。

この短文を見るたびに、届かない何かに向かって大振りのカウンターパンチを放つ男の姿がいつも想い浮かびます。



【今朝のオレ名言36】

2mmほどの虫を30分ほど見続けてたらゲシュタルト崩壊して 虫に見えなくなった

不思議不思議 どうしても神のはしくれにしか見えない

これを人間で しかも自分に対して引き起こした状態を悟りと言うのだろう

だけど人間は 機能と感情が複雑すぎて なかなか引き起こせそうにない

過去記事のほうにも書いたんですが、これは伊達や酔狂ではなくてホントにそうなってくるんですよ。あ、個人差はあると思いますが。

そんな小さな生き物を30分も観察し続けたことがないので、自分でもビックリしました。「なんだコレ?」ですよ、ホント。今はもちろん虫に見えてますけど。

ゲシュタルトは文字だけではなく、生き物にまであるのだと思いました。極論ですが、平気で凄惨な殺め方をしてしまえるような人間は、人間へのゲシュタルトが希薄なんでしょう。
我々常人も、普段は豚へのゲシュタルトは希薄なわけです。ヒンドゥー教徒にとっての牛は、我々日本人から見る牛へのゲシュタルトでは到底及ばないものが強烈に存在しているはずで、なかなか外せるものではないでしょう。

僕は自分へのゲシュタルト崩壊を起こしたい。叶うことはないんでしょうけど。
自分をただの遺伝子の乗り物のように見ることができたら、世界はどんなに輝いているんだろうと思います。まぁ、今も割と輝いて見えてますが。



さて、3000文字を超えて来たので、体調が悪くなる前にそそくさと筆をおきます。

ではまた('ω')ノ




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