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朝飯前の完乗達成

6月に山陰本線ひと駅だけ往復、というのをやったが、あれの「愛環版」で昨日の時点で今朝起きれたらやってしまおう、と思った次第。

三河豊田から
普通|岡崎
2115

岡崎行きの「初電」に乗車

宿泊していたホテルを、散歩するかのような軽装で飛び出し三河豊田駅へ。
時刻は5時半。まだ空は薄青と茜色が入り混じった、不思議な模様を作っている。
やってきたのは、15分ほど前に岡崎方から回送でこの駅を通過していった列車で、おそらく新豊田で折り返し営業列車になったものと思われる。
53分、発車。

対向車は愛環オリジナル色

次の末野原で高蔵寺行きとすれ違う。

複線用のトンネル坑口に単線で突っ込む

鴛鴨(おしかも)トンネルを過ぎる。
新豊田以北のトンネルもそうだが、しっかりと複線トンネルで建設されていて、将来の複線化を目論んだ設計になっていた。

東名高速をくぐる

東名高速の盛り土をくぐって永覚。ここも難読駅名で普通に「えいかく」と読んでしまうが、正しくは「えかく」との事。
三河上郷から複線となり、トヨタ自動車の上郷センター専用線の跡を目で追ってみたが不明…

「出勤前」の列車群

程なく、同社の車両基地を過ぎて

本来の「岡多線」の主要駅の姿が、北野桝塚にのみ残る

3分、北野桝塚着。
2面4線と拠点駅らしい佇まいを見せる。
岡多線が順調な経営をしていれば瀬戸市、三河豊田あたりもこういう感じの構内になっていたかも知れない。

あっさりと単線に戻る

北野桝塚を出ると再び単線となる。
車庫の出入りで、列車同士で輻輳しないための複線化だったようだ。

川幅も川そのものも広い矢作川

矢作川を渡ると岡崎の市街地に入る。

鉄道模型のような「後付け感」あふれる大門駅

次の大門は、複線化スペースの上に開設されていた。
有効活用ではあるが、ホントに複線化される時には少々厄介な「手戻し工事」が必要になりそうだ。

北岡崎。この辺りまで来ると都市部の鉄道の趣に・・・

北岡崎から再び複線。
車窓はすっかりと岡崎の街並みだ。

中岡崎の前後で国道1号と名鉄名古屋本線と交差し、六名手前で再び単線に。

「東海道」方面の信号機が、JRとの繋がりを物語る

その六名で高蔵寺行きとすれ違う。
そしてまた複線に…この辺りは羽越線並みに、単線と複線が入り乱れる。

東海道本線の上り線が近付いてきた

下り線が東海道本線をくぐり、こちらは東海道本線と沿いながら走り、

終点・岡崎着

19分、終点の岡﨑着。
降車した大体の客が、隣の東海道本線へ乗り換えていった。
そしてこの時点を持って、愛知環状鉄道線を完乗。

岡﨑から
普通|高蔵寺
2215
例によって、来た列車で折り返す。

岡﨑はまさに駅の片隅にあるホームから出る、という感じだった。
仮にも三河と尾張を環状する路線の一翼を担ってる訳だから、世が世なら東海道本線のホームあたりから堂々と出ていたかも知れない。
そうなると、岡多線ひいては愛環線の「扱い」も変わっていただろう。

34分、岡﨑を発車。
東海道本線から離れて六名。

名鉄線を跨ぐ

中岡崎の手前で。名鉄名古屋本線と交差する。
ちなみに同社の中岡崎駅と名鉄の岡﨑公園駅との距離は、乗換駅と言っていいくらい至近にある。が、そうした乗換駅としての配慮はあまり見られず、通路等も無い。
いわば「知る人ぞ知る」乗換駅といった感じだ。

ユニチカへの専用線跡

北岡崎の先でユニチカ(現在は日本エステル)の専用線の跡を確認。
北野桝塚の車運貨物ばかりが語り継がれている岡多線の歴史だが、こういった地味な貨物線かあったことを忘れてはならない。

49分、北野桝塚。パラパラと乗り込んできた。

トヨタ上郷センターへの専用線跡。資材置き場などに転用されている

北野桝塚を出ると少し広い目の敷地があるが、おそらくこれがトヨタ自動車上郷センターへの専用線跡か。
ここから数キロほど専用線があってセンター内にヤードを設けていたようだが、その専用線の跡は見事に住宅地に生まれ変わっていた。

住宅地の背後に控える上郷物流センター。岡多線時代は切っても切り離せない関係

三河上郷手前で、トヨタ自動車の大きな陸屋根の倉庫を発見。
トヨタ自動車くらいの規模があれば、また車運輸送の貨物列車も出来そうな気がするのだが・・・

トヨタ上郷工場が見えてきたら、豊田の市街地は近い

永覚手前でトヨタ自動車の上郷工場が見えた。
本当にトヨタ自動車と縁の深い沿線だ。

三河豊田着。すっかり明るくなった

7時、三河豊田着。
ホテルの朝飯前の乗り鉄は、これにて終了。
【令和6年8月11日乗車】

【完乗】愛知環状鉄道 愛知環状鉄道線

愛知環状鉄道 愛知環状鉄道線 三河豊田~岡崎 15.9km

小計 15.9km

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