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明日香坐神社のおんだ祭


〇おんだ祭りの概要

2020年2月2日、奈良県高市郡明日香村にある、飛鳥坐神社で「おんだ祭り」に参加した。近鉄橿原神宮駅を起点に明日香村を巡回する「赤かめ」バスは満員で外国人も乗っている。

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飛鳥大仏前で降車した乗客は、飛鳥坐神社に向かって歩く。
2020年の2月2日、例年より暖かい。

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参道には露店も並び、ここからすでに祭りが始まっている。翁の面をつけた村人が、ささら竹で人々の尻を打っている。どこかリングに上がる前のプロレス悪役を思わせる。

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鳥居をくぐる。飛鳥坐神社は日本書紀や日本紀略にも記録のある由緒ある神社である。境内はすでに人で埋め尽くされている。

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ほとんどの人がカメラを手にしている。お守りの販売所で会った男性は横浜から来たと言うことであった。筆者が到着したのが12時過ぎ頃で、このときは居合の奉納が行われていた。その後、龍の舞があり、続いて巫女の舞が奉納された。

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次に、神職による農産物の奉納と檀上の参列者による玉串奉納が行われた。

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農産物は粟・大豆・早苗に見立てた松葉である。

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この後、田を耕す模擬行為を壇上で行う。この耕す作業は翁と天狗が行う。

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牛も登場し、天狗は牛に鍬をつけて田を耕す。
時々寝そべったり、牛の演技はなかなかのものである。

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この耕す動作の後で、神職は田に相当する位置に早苗に見立てた松葉を置いてゆく。最後にこの早苗は観客に向けて投げられる。

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ここまでが第一部で、第二部はいよいよ観客待望の場面である。

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まずは天狗が登場し、股間に持った青竹の筒を振り回し、神主の盃に注ぎこむ。次にお多福がやってくる。

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お多福はもちろん男性が扮しているのだが、この恥ずかしそうな演技はまことに素晴らしい。

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興味深いのは、お多福が神主に、「鼻つき飯」という婚礼の際に仲人に供える飯を出すことである。短い時間内に、婚礼から夫婦和合までが一連の動作として行われているようである。

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いよいよ観客待望のシーンである。翁が後ろから押したりもする。
観客は一斉に前に出て撮影をする。この部分はyoutubeなどにたくさんアップされているので今更詳細を公開する必要はないだろう。

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最後に「拭くの紙」と呼ばれる紙を客席に投げる。拭くの紙 は天狗などが股間を拭く真似をした後の紙で、観客はこれを奪い合う。この紙は子授けに霊験があるということである。

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神主が最後に豆を手に取り、仏教寺院で言う「法話」に相当する話をする。
そして最後に御供まき(もちまき)である。
餅は紅白で直径約4cmくらいの小型である。餅は来場者に最低でも一人5個くらいは当たる数が用意されている。こうして祭りは終わる。

〇おんだ祭りの類型化

おんだは御田もしくはカタカナでオンダと記述する。神社により「祈年祭」と称するところもある。おんだも本来は「御田植」が「御田」になったものと思われる。
現在、奈良盆地部を中心に、その周辺部に30のおんだがあるという。
奈良県以外の地域の「御田植祭」は

伊雑宮御田植祭(三重県・6月24日)、住吉大社御田植祭(大阪府・6月14日)、広島県 美土里町本郷のはやし田(6月下旬)。吉備津彦神社の御田植祭(岡山県・8月2・3日 )などで、これらの祭は田植えの後に行うものである。

奈良まほろばソムリエ会副理事長 の雑賀耕三郎氏によれば、正月が終わってから冬にかけての農村の主な行事はおんだである。正月の「オコナイ」は「これから新年を始めます」という意味合いの祭りである。
3月には春日大社のおんだ祭りがあり、奈良のほとんどのおんだは田植えの前に終わる。その後、祭は「野神祭」に変わってゆく。

本来、おんだ祭りは豊作に対する人々の願いを具体的な農耕の所作で形にしてあらわすのが特徴である。飛鳥坐神社の夫婦和合の所作は、生殖による子孫繁栄を五穀豊穣にかけた予祝儀礼である。

おんだ祭りの類型として、
1 問答形式のせりふがあるもの
2 せりふがなく、農耕の所作を無言のうちに進めるか、暴れまつりの傾向があるもの
3 農耕の所作や台詞がなく、祝詞奏上のあと、松苗をわけるという祭典のみのもの

の三種がある。飛鳥坐神社のおんだはこの2に近い。
一方、大神神社(おおみわじんじゃ)のおんだ祭りは農耕の所作と巫女の舞があるのみで、大変静かに粛々と行われる。観客も近くから来たと思われる人々のみである。

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祭りの途中に神職が朗々と述べる「蒔こうよ蒔こうよ、よい種蒔こうよ。取ろうよ取ろうよ、良い米取ろうよ」という言葉が、おんだ祭りの本質を説明している。

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飛鳥坐神社の神主は作物を手に取って最後に語る。「粟や豆はこの一粒からできている。もし穀物が実らなければ、茎は立ったままで垂れるということがない。自然の恵みに感謝しよう」
この言葉もまたおんだ祭の本質をよく説明している。
おんだ祭りのすべてに夫婦和合の場面がなく、むしろ飛鳥坐神社は特殊であることがご理解いただけただろうか。

ちなみに、奈良の神職はなかなかに行動的である。倒れそうな垣根によりかかって撮影しようとする人を抑制し、最後には法話のような話もする。黙って行事のみを行う京都の神職とは大きな違いである。

〇祭りは見世物ではない

祭りは見世物ではなく、ネットの話題提供の材料でもない。しかし、評価を上げるために珍しい絵柄・際物の動画を求める人は後を絶たない。祭の本質を知ればどのように行動するかは明らかであるが、カメラを回すことに熱心でそれができなくなっている。こうした興味本位の撮影や投稿によって、豊作を祈る祭りが「キワモノ」として面白がられている。

低頭する場でもシャッターを切り続ける。他のコミュニティの催しに参加しているという立場を理解していない。話す言葉などから、首都圏などからも多数見に来ていると思われるが、何のためなのか。取材であったり、研究の一部である場合はそれなりの対応をするべきであろう。祭は楽しむもの、面白おかしいものであるが、ただそれだけではない。

厳粛な部分もあって祭なのである。そのことを理解しなければ、どの祭を見てもカメラを回すだけで終わってしまう。祭の準備をする人・警備にあたる人への敬意もなく、「神社だから無料」という考えは改めて頂きたいものである。

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最後に、奈良県民の参拝の際の姿勢は大変すばらしいと思う。小さな子供も鳥居で一礼をし、中に入る。多くの日本人が失ったものがまだここにある。

参考文献:
農耕儀礼 : 御田祭と野神まつり
奈良県立民俗博物館編
大和郡山 : 奈良県立民俗博物館, 1980.10

大和の年中行事 : 稲作とまつり
奈良県立民俗博物館編
大和郡山 : 奈良県立民俗博物館, 1984.9

日本伝承文化保存会 似内恵子
著作権は筆者に所属します。無断転載は固くお断りいたします。




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