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大原の江文神社を訪ねる

大原の調査を行ったのち、江文神社を訪ねました。道路から少し外れた山中にあり、静かな神社です。

江文神社は大原郷八ヶ村の氏神です。八ヶ村と聞いて、その名を全部言える人は地元の方だけでしょう。八ヶ村は「大原八郷(おおはら-やごう)」とも呼ばれています。
います。明治維新前の大原郷には、戸寺・上野・大長瀬・来迎院・勝林院・草生・野村・井出の8つの村がありました。
その内の大長瀬・来迎院・勝林院の3村は梶井宮門跡の領地であり、
戸寺・上野・草生・野村・井出の5村は中東氏の領地でした。
そして、1882年にこの8村が合併して「大原村」になり、その後の1889年の町村制制定の際に、小出石・百井・大見・尾越を合わせて愛宕郡大原村となりました。さらに1949年に大原村は京都市左京区に編入されました。907年(明治40年)頃には若狭街道が改修されて人力車の通行が可能となり、京都までの交通が便利になりました。
江文神社はもと毘沙門堂江文寺と合祀されていました。江文寺は,金毘羅山(江文山)の南腹にあった寺院で,本尊は毘沙門天だったようですが,創建の由緒などは明らかではありません。荒廃して廃寺になったと考えられ、明治期の神社合祀や神仏分離の結果ではないようです。

本社の祭神は倉稲魂命(ウガノミタマノミコト)です。5月4日には江文祭、9月1日(現在は1日に近い土曜日)に八朔祭がおこなわれます。この五穀豊穣の神・倉稲魂命に豊作祈願をするのが「大原八朔踊」です。
八朔踊りとは、大原に残る伝統芸能で、絣の着物に菅笠を被った宮座の青年たちが輪になり、道念音頭(楽器を用いない独特の節)で踊る豊作祈願の踊りです。地元住民の豊作への祈り表すために行われた儀式であり、祭りは旧 暦の 8 月 1 日に開催されていましたが、現在は 9 月 1 日に開催されています。

大原八朔踊 「古都の祭り・行事 ふるさとの伝統行事を訪ねる」より

宮座に加入したばかりの15~17歳の青年らが、絣の着物に菅笠姿で踊るものです。高張提灯を先導に江文神社へ向かう途中、石段下では伊勢音頭がうたわれ、江文神社に至るとションガイナが歌われます。その後、四方に斎竹を立て注連縄を張った屋台に、2か町1組で音頭取りが上り、道念踊りが踊られる。道念音頭は楽器を使用せず、「紅葉名所」「愛宕八景」「都名所」など曲がうたわれ、途中から女性も踊りに加わります。

央の建物は 3 つの中で最も大きく、食料と農業に関連する古典的な日本神 話の神であるウカノミタマに捧げられています。ウガノミタマの神という名前 は、「倉庫の米の精神」という意味があります。

大原というと、寂光院だけを見て帰ってしまう方が多いのですが、この神社が大原の人々の精神的よりどころとなっています。ぜひお詣りください。
【参考】「古都の祭り・行事 ふるさとの伝統行事を訪ねる」(京都ふるさと伝統行事普及啓発実行委員会・平成31年)    
大原観光保勝会HP
フィールドミュージアム京都(京都市HP)    
    
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/index.html

江文神社住所:〒601-1247 京都府京都市左京区大原野村町643

似内惠子 NPO法人京都古布保存会代表理事
(この文章の著作権はNPO法人京都古布保存会に属します。無断転載・引用を禁じます)
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