【日常紀行】街路樹横の窓辺に流れる時間
ガラス窓に街路樹の黄葉が滲む。
ガラスに雨粒が当たっては、すーっと降りていく。
すると、窓の街路樹がゆっくりと揺らぐ。
今は1人の時間を味わう。雨粒をゆっくり観察したのは久しぶりだ。
何となく過去の友人との時間を思い出す。賑やかだった。仲間との連帯感を確認するために、或いは、自分の存在をアピールする為に、飲んでいたかもしれない。まあ、お酒を楽しむというよりも、一体感や高揚観を求めていたのだろうが、それはそれで楽しかった。
現在と過去、それぞれの時間に似合ったお酒がある。年齢に合わせてお酒の楽しみ方があって当然いい。
そして、人生の場面に合わせて、飲むお酒もいい。
楽しい時、喜びを噛みしめる時、悲しい時。色々ある。
下の子が生まれた時に飲んだ酒がある。
喜びと悲しさが、混じっていた。
若干の疾患を抱えて生まれてきた。場合によっては、成長とともに、障害を抱えるかもしれない、と医師に言われた。喜びも束の間、一瞬目の前が真っ暗になったのを覚えている。
本人の将来の辛さや、そのことを知った妻がどう思ったか、を思うと悲しかった。将来も不安だった。僕たちが死んだら、この子はどう暮らしていくのだろう。
その夜、自室で苦い酒をゆっくり飲む。何度か繰り返していく内に、覚悟が決まった。このことを受け入れて、最善を尽くしてしかない。ぐだぐだ考えても、不確定要素が多すぎて人生は計算しきれないのだ。その場その場で最善を尽くし、選択していくしかない。そう覚悟が決まると、勇気が湧いてきた。僕は、この位のことで絶対に負けない。背負ってみせると。
お酒が、そう背中を押してくれた。人生に寄り添う友のようなものだ。時を彩り、時を味わう。時には、好き友として。時に悪友として。お酒は役者だ。
それから、かれこれ20年後。街路樹横の喫茶店で、今1人思うことは、未来の時間だ。
その下の息子の「子熊ちゃん」がお酒に興味を示しているという。「子熊ちゃん」と言っても、彼は大学受験生。体はデカイのに、仕草に幼さが残るので、僕ら夫婦では彼のことを秘かに子熊と呼んでいる。本人はそれを聞くと機嫌が悪くなるので、本人の前では言わない。大きな病もなく、無事育ってくれた。子ども専門の医療機関からも卒業した。
息子と酒杯を交わすのは、男親のロマンだ。
家族では、妻は体調を崩してからは飲まなくなり、やっと成人した長男は下戸だった。僕にとっては、「子熊ちゃん」が最後の希望の星だ。
そうだ、そんなささやかな夢をつまみに、今夜、1人そっと飲もう。あの時とは全く別物の、感謝で満たされたとっても美味しいお酒に違いない。
さて、何から始めようか。
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