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とある詐欺師とのお話からはじまるお話(2)〜洗脳その2〜

多分、もっと潔癖な人間なら前に書いた様な洗脳の影響は最小限に抑えられたのではないだろうかと時おりなんとなく思う。

私は二十代になる前から「これってもしかして不正行為なのでは無いか?」と疑問に感じる様なお金に関する事を親に「これをやって収入を増やさないと生きていけない!」と叱られながらやってきた経験がある。

両親との生活では、(今思えば収入の量というよりも親の支出コントロールの問題だった気がするが)小学生の頃から電気・ガス・水道の3つが時々止まり、ずっとお金に困っていた。

来月から食べたり水道を使ったりするお金の為に、まっさらな領収書に親の知り合いの名前と金額を書く様に……と親から言われながらも「え?知らない人の名前と金額を私が書くのって不正行為なんじゃ?」とわけが分からないまま不安感を抱いて、親から握らされたペンを使えずにいた。
すると、親が私を叱りつける声がどんどん大きくなり、机をバンバンと叩きながら「これを電子姫が書かなきゃ、来月の生活費が…!」と言われるも、頭の中がパニック状態で結局わたしはそれを最後まで書ききれなかった。
そのせいなのか、しばらくしてから電気・ガス・水道のいずれかが止まっていた。そして、親からは「あんたがあの時ちゃんとしていたら、あんたが欲しがっていたものも買えたんだよ」等と蒸し返されるようになる。

もちろん小学生の子供が大人のやっている事の本当の善悪を知る事は難しいので、今思い起こせばあの時親に命令された内容は別にそこまで悪い事でも無かったのでは無いかと思うが……小学生の頃の私は、今の私よりも更に頭が悪過ぎたので正常な判断が出来ていなかった。

ただ、こういった経験から分かったのは、私が生きる上で重要な生活に関わる“絶対にこれをしなきゃ生き延びられないという処世術”には私には分からない範囲の事というのがあって、その“私には分からない範囲の事”のせいで私が生きる上で困る様になってはいけないからと親は私の為に心配して処世術アドバイスしてくれているのだ……という思いを強く持つ様になった。

私は、20歳を超える頃にはもはやそこに疑問を持たなかった。
なぜなら、幼少期から続く、私が親から言われた処世術アドバイスに従わなかったら、私も家族もみんな電気もつかない部屋で飢えて死ぬ恐れがある…という刷り込みが染み付いていたからだ。

実際に、親から言われた処世術に従っていれば、電気や水道が止まった部屋の中で飢えを感じる瞬間から解放された…という成功体験が何度も何度も積み重っていた。
私が独断で勝手な事をして、親が考えた処世術プランから外れると、実際に電気が止まったり飢えたり欲しいものが買えなくなったりした。

そういった親からの処世術アドバイスについて20代を越えた頃には、“収入面で嘘をついて消費者金融などからお金を借りる”とか“毎日何年間にもわたってお店のレシートを盗んで後見人に提出する書類の数字を偽装する”とか…そういったものになっていった。
それでも当時は、それが正しいことだと思った。だって、こうしないと親の言う通り私も家族も死ぬほど辛い目に遭う…!と。

私は3歳の頃から、親との生活費の為に、親の仕事の手伝いをしていた。10代の頃には、親の事務所で寝泊まりして働く事もあった。
その後、20歳を過ぎてから認知症になった祖父母を金銭的な面も含めて面倒を見てやらねばならなくなり、私が家族との生活費をなんとかしなければならないという責任感が過去最高となった頃、その思い(親から聞く処世術アドバイスをきちんと聞かなければ水道や電気が止まって飢えたりする)も過去最高となった。


それから、何年も経ち、父親は家を出ていき、祖父母も亡くなって、私が生活費を用意する責任がある家族は母親だけとなった。

しかし、母親が月に10万円以上稼げる仕事をして生活が安定してきたな…もう私が稼がなくても大丈夫かな…と思うタイミングになって家出を決意すると、母親が今の職場はストレスだから辞めると言い出して、母親が新しい仕事に就くまで親をほっとけないという気持ちになり家出の計画がパーになるという感じだった。
母親は、赤字状態で停止していた会社をいつか復活させたいと思って潰さずにいたので、一旦仕事を辞めたら退職手当てが出なかった。

私は十年以上、親元を離れて別の場所で暮らしたいと願っていた。
その頃、バイト先で知り合った元カレは、両親と祖父母を亡くしていてたった一人で一軒家に暮らしていると聞いた。

私と元カレとの交際期間は約5年間だったが、付き合い始めた頃から私は「親の実家から出て行きたいから結婚もしくは同棲をさせて欲しい。もしそれが無理なら数ヶ月間だけ泊めて欲しい。」と懇願していたが、それに対する回答は常に必ず「いつかそうしよう。」「そういうややこしい話は後でまたゆっくりしよう。」というものだった。

ある時は、私が元カレに家を出たい助けてくれとしつこく言い過ぎたせいで「だからその話は、いつかしようと言っているじゃないか」とブチ切れられた事も何度もある。

そして、ある時は、私が元カレの車に乗って血まみれの自傷をしながら泣き叫んで「このまま家に連れて行ってくれ。」「助けてくれ。助けてくれ。」と何度も頼んだら必ず「お母さんの所に帰りなさい。」と言われて何度も家に返された。

「お金を貯めて友達と一緒に一人暮らししたい」と私が言ったら、「(デートの食事は全て奢るし欲しい玩具は何でも買い与えるし、実家での生活費に必要なお金も貸すが)もし電子姫が一人暮らしをする時にはお金は一円も出さないし貸さないからな。」とキツく言われ、時には泣きながら抱きついて「電子姫行かないでくれ〜。」と強く引き留められた。

こんなのが5年間……私としては、地獄のようだった。
交際3年以降はこの一連の出来事で愛情はスッカリ冷めていて本心としては一刻も早く別れたかったが、実家で同居していた親が年に何回もお金が無い無いと大騒ぎする度に、「私に元カレからお金を借りられないか?」と言われていた。
親と同居している間、私の生活費は親が管理している状態だったので、“親が生活費がないと言う=私の生活費が無い・無くなる”という事だった。
その状況下で、私が元カレと別れたら金銭的事情で死活問題になる。生きる為に親の言う通りお金を何度も借りて生活費に当てられる人(元カレ)との関係を継続するしかなかった。

私が稼いだお金は私の買い物依存と、親からの生活費の催促で、常になかなか貯まらなかった。
親の実家以外の場所で暮らそうと思ったら、まず元カレの家で一時的に避難して働きながらお金を貯めたり次に暮らすアパートの部屋の契約をするかそのまま元カレと一緒に同棲生活をするしか無いと思っていた。
でも、交際中ずっと同棲・結婚はずっと話は後回しにされ、一人暮らしには大反対されて一人暮らしの手助けを得られずに実家に突き返されていた。

こうして、私は交際していた約5年間のうちの約2〜3年間は、自分が生きる為に我慢してお金の為に元カレと付き合い続けた。

その後、2022年の11、12年頃に「私が家を出てそっちと一緒に生活する事に関して、ずっと話を後回しにされてきたけど、2023年になるまでに決めなかったら別れる。」と元カレに言ったが、2023年の2月を過ぎても私と同棲・結婚する話を「いつかしてあげる」と後回しにしたまま、一人暮らしの協力も一切しないという姿勢を崩さなかった。


どうせ私はこのままこんな所で一緒に居るだけで何故かストレスになる親の為を思いながら、ずっと暮らしながら死ぬのか……もう死んでも良いやと覚悟を決めて、死ぬ気で元カレと別れた。

その後、ネットで新しく知り合った人が家に泊まっても良いと言ってくれたので、ようやく家を出られた。

それでも何とか…何とか……
我が親元を離れられてから今の彼氏の世話になっていた間、今の彼氏は金銭的にも援助してくれた。
しかし、私は元カレからもお金を借りて今の彼氏との生活費に当てていた。

私は家を出たものの、実家の家庭環境や発達障害や精神疾患などの影響が合わさってなのか金銭感覚が変な感じだった。
新しく家に住まわせてくれた彼氏から金銭的に支援してもらい欲しい物は何でも買ってもらえていたものの、お金が足りない…少しでも彼氏からの金銭的負担を軽くせねば…という衝動が時々出ていた。(今思えば、あの時今の彼氏が出してくれていたお金は充分な量であったと思う。買い物依存の傾向も相まって、私がうまく金銭管理が出来ていなかった気がする。ただ、あの頃は、生活費についての具体的な数字について今の彼氏について話そうとしたら、計算嫌いな彼氏がそんな話は聞きたく無いと毎回騒いで、お金についての話し合いが不十分だったのも良くなかったと思う。)

あの地獄のような5年間の復讐をしたいという気持ちもあって「いつか復縁して一緒になってあげる事もいつかちゃんと考えるから、お金を貸して。」と元カレに電話で言って何度もお金を催促する様になった。
「いつか一緒に」、元カレが私に5年間言い続けて期待させるだけさせて落胆させた台詞を言い返した。

しかし、もう愛情の冷め切っている相手との会話は更なるストレスを生み、ある時は夜に「急にお金をスられたから十万円くらい出して」と言った事もある。

私は、こうして今カレと元カレの二人からお金を引き出しながら生活する事になる。
自己破産手続きをして過去の負債をどうにかして、障害年金といった福祉支援のお金を受け取れる様になったり、精神疾患的なものを治して働きながら自分で収入を得られる様になるまではこうしておこうと思っていた。

必要最低限の生活費の為だけにこの様な事をしていれば、まだ罪の意識は無かったかもしれない。

ただ…ここで、そんな私の悪い面を背中を押して助長したのが、例の詐欺師であった。

詐欺師は、私にこういうアドバイスばかりしていた。
元カレから更に貢がせろと。


私は元カレに復讐したいという気持ちと彼氏と幸せに生きる為に必要なお金が欲しいという思いから元カレからお金を出してもらっていたが、それ以上のものは無かった。
そして、この行為に、私の中で微塵も罪悪感の様なものが無かったわけでも無かったが、福祉支援の専門家(と思っていた詐欺師からは)一切止められる事なく、むしろその背中を押すような言葉をもらい、私は親から刷り込まれた“多少罪悪感や不正じゃないかという不安感のある事でも、私よりも社会についてよく知っている大人からのアドバイスに従わないと最終的に飢えて死ぬ危険性がある”という価値観を更に肯定するようになった。

そして、前の記事で書いていた“自分の所属している福祉事業所に電子姫が損害を与えたから、電子姫は合計で五千万円の賠償金を払わねばならない”という架空請求をされる様になってからも、架空の損害賠償金を払う為に元カレから更にお金を引っ張ってくるようにアドバイスされた。

この時は、本当に専門家として私の為を思って処世術アドバイスをしてくれていると思い込んでいた。
それは詐欺師が私に言っていた職歴が、私に毒となる様な処世術アドバイスをして悪い刷り込みをしてきた私の親と同じ“NPO法人で働く者”であり“大学の非常勤講師”でもあったから…というのも大きいと思う。親と重ねて、新しい親の様に頼っていた部分があると思う。




その上、この詐欺師は大阪堺市の商工会議所議員の矢本という人物をはじめとした政治や福祉に関わる事を熱心に長年やってきている人達とも実際に仲良くしていたから、詐欺師の言う“福祉の現場で本当に困っている人たちを生で見ている専門家としてのアドバイス”にますます何の疑問も抱かなかった。



私は、商工会議所の矢本さんやPTA会長の戸田さん等から「この人の偽の福祉ビジネスに私も騙されていました」という言葉を聞きたい一心でX(旧・Twitter)で、今回の事を一度感情的にダーッと書いてしまった。
すると、私が期待していた「その人の偽の福祉ビジネスに自分も騙されていただけ」等という言葉は出ず、そのうちの一人からは黙ってブロックされた……何か後ろめたい事でもあるのだろうか……不安感を解消したかったのに、この事で不安感が増してしまった。


私は今でも覚えている、彼らが相互フォロワーで、詐欺師が言っていた自分の結婚相手などに関する話に「(あなたの)奥さんをあそこで見ましたよ」などとリプ欄で言っていたり、詐欺師が言っていた自分の仕事(福祉支援など)についてツイートしている中で“いいね”を押していたり……
あれを見て、私は、同い年ながらも福祉の道で頑張りながら家庭を持つ立派な社会人としての彼(詐欺師)に「すごいな、自分と同い年でこれだけ頑張ってるんだ!」と凄く感動していたから、変に印象に残っている。

政治福祉の道でプロとして長年やっている人たちと本当に仲良く交流している人をどうやって疑えば良かったんだ?と……。
せめて、仲良くしていた彼らが「人違いです」とか「自分も騙されていました」と言ってくれたら安心出来たが、その事について何も言わない。
グルであったかもしれないし、そうじゃないかもしれない。今も分からない。

でも、区役所で生活保護に関する事をやっている職員や、詐欺師のせいで生活がボロボロになった私を助けてくれた正規のNPO法人の人や士業の人は、みんな口を揃えてこう言っていた……「こういう(NPO法人の支援を騙る詐欺)多いんですよ」。

もし、彼らが分かっていた上で、あの詐欺師と仲良くしていたのだとしたら……とても恐ろしいなと思った。

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