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とある詐欺師とのお話から始まるお話(4)〜過去を捨てる難しさ〜

モラハラやDVや虐待などで何年も何年も加害者と関わってきた人の中には、その過去のトラウマから解放されるのには時間がかかる人もいる。
私もその一人だったりする。

トラウマとの向き合い方について、傷付いた心の回復について調べていると、PTSDという言葉に必ずぶつかる。

かつてPTSDというのは、一般人の日常によるトラウマではなく主に戦争経験のある兵士のトラウマによる症状をさしていたらしいけど、今はトラウマによって精神を病むのは兵士だけではないよね…という感じになってきている。
『身体はトラウマを記録する』という本ではトラウマ体験の中には、トラウマ体験を持った者の恥の記憶などもセットとなりPTSD症状が出るケースが描かれていた。
戦争で敵国の者に戦友を殺された記憶だけではなく、戦友を殺された後に一般市民を襲ってしまった恥の記憶もトラウマとなり、その後の帰還後の生活で過去に暴行した敵国の一般人と同じ性別で同じ年齢層の家族との生活に精神的に支障をきたす…といった具合だ。


さて、私の書く文章を真面目に読んでいる者がどれほどいるのか分からないが、多分真面目に読んでいる人は何故わたしがこれほど己の事も含めて露悪的なのか不思議に思うかもしれない。

私は関わってきた一部の人たちの恩情とかで私がこれまでやってきている不正行為が、全て社会的にスルーされているけど、それで私よりも極悪な連中が芋づる式に助かっているから、これで良いのかと悩む時がある。

それを仲の良い者に言うと「なんでそんな自暴自棄になるんだ!」と叱られた。

だけど、私の事を隠す事は、私の親や職業後見人をやっている弁護士や私が関わった詐欺師や元カレなどにとっても都合が良いのでは無いかとも思う。

私が今まで“自分の頭で考えて自分の為だけに悪い事をした”のは、たった一回だけである。
あとは、全て多かれ少なかれ“他人”が絡んでいる。私にこういう不正行為をしろと指示する人と、そこまで追い込んだ人がいる。

社会が悪い他人が悪いとはあまり言いたく無いけど、考え様によっては私よりもタチの悪い者たちが常に私の後ろにいて、私はその中で朱に染まざる得なかったという側面がある。
そんな中で、いくら障害があるとはいえ正常な判断能力が低い私の不都合な部分を周りが庇ったり覆ったりするほど、私よりもタチの悪い周りの人々の悪い言動も一緒に庇ったり覆ったりして、彼らにとっても都合の良い結果になってしまっているような気がする。

それでも仲の良い者は、私に露悪しまくって自分の人生を潰すリスクを犯すなと言うが、本当にこれで良いのかと今でも悩んでいる。

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