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電線さんぽ 本所・深川編

日本のさまざまな場所に電線の歴史が眠っています。
「電線さんぽ」では、電線にまつわる場所を訪れ、歩き、歴史を学びます。
今回は東京都墨田区本所で、ものづくりの歴史に触れました!

やって来たのは、東京都江東区にある東京メトロ半蔵門線・都営地下鉄新宿線の住吉駅。

駅から歩いて3分の住吉銀座商店街からは、電線と東京スカイツリー®が一望できます。

東京スカイツリー®が見える道では、電柱の地中化がハイスピードで進んでいるそう。下町らしい景色と東京スカイツリー®が楽しめる場所は、これからレアになっていくのかもしれません。

さて、さかのぼること明治時代(1868~1912年)。
日本製の銅地金(どうじがね)は、そのほとんどが海外に輸出されており、1880年代には輸出量の拡大により国内生産量が増えました。
※銅地金…純度の高い銅の板のこと。電線では、銅地金を溶かし、細く伸ばした銅線を、電気の通り道となる導体として用いることが多い。

しかし、当時の精錬技術は未熟で、銅の品質は不安定でした。
そこで開発されたのが「電気精銅法」です。
粗銅を電気分解して不純物を取り除き、純度の高い銅を作るこの方法は、当時「電気精銅」「電気分銅」などと呼ばれていました。

そして、1896年からの第1次電話事業拡張計画によって、電話線の布設が広まり、それまで輸入に頼らざるを得なかった電線の国産化が強く求められるようになりました。電線の導体に用いる純度の高い銅線の供給に応えた1社が、こちらの本所鎔銅所です。

「古河鑛業會社本所鎔銅所内作業之光景」 日本商工大家集(明治39年発行 大阪新報社) 
国立国会図書館デジタルアーカイブ

この鎔銅所は、足尾銅山を営む古河市兵衛によって1884年に開設されました。本所が選ばれたのは地価の安さや、労働力の豊富さに加え、隅田川とつながる運河が縦横に走り、銅の加工に必要な水と物流に不可欠な運路が兼ね備えられた土地だといういくつかの条件にぴったりだったからだそう。

「古川鎔鑛場」明治40年1月調査 東京市本所區全圖/深川區全圖 部分 (東京郵便局 大蔵書店)
東京都立図書館デジタルアーカイブ

本所鎔銅所は、墨田区江東橋5丁目の大横川に面した場所にありました。
大横川に架かる菊川橋から見るとこんな景色です。

菊川橋から川沿いに東京スカイツリー®側へ歩くと、菊柳橋へたどり着きます。
橋のたもとには、64年の東京オリンピック記念碑のようなものもありました。

南辻橋は現在、工事中。私が訪れたときは工事休みの日でした。

工事現場好きな方はちょっと立ち寄って、通行や作業の邪魔にならない程度に重機を眺めてみるのもいいかもしれません。
本所鎔銅所のあった辺りは、住宅街になっています。
ねじ屋さんやギャラリー、味わい深い路上園芸コーナーもありました。

日が暮れたら、ビールを飲んで涼むのもおすすめ。
ひと休みしながら、国産電線を支えた下町の歴史に思いを馳せるのです。

電線の歴史をたどる下町さんぽはいかがでしたか?
あなたの近所にも、電線とつながりの深い場所があるかもしれません。
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