「確信」
今日もある方との一日からスタートした。
育成を30年してきて、いつも最後はユースの壁にぶつかる。
もっとやっておけばよかったといつも後悔しかなかった。
育ててきた選手が離れる。
誰に託せばよいのか。どこのユース,高校なら成長できるのか。
現実とギャップの中で、もっと発想力、想像力を付けないとユース,高校では戦えないと思っていた。
選手にもどうそれを伝え続けるかで葛藤してきた。
昨日夜中に目が覚めた。
果たして発想力、想像力の部分で自分は間違っていたのではないか。
それは自分が決めていたゴールであって、選手のゴールはそこではないように思えた。
発想力、想像力だけでは何かが足りない。
曖昧に思えてしまう。
だから世界へ辿り着けないのではないか。
色々なスポーツ界、選手を見ていて共通する部分がある。
三浦知良、イチロー、野茂英雄、釜本邦茂・・・。
彼らは「確信」を持っていたのだと思う。
絶対に成功するという確信が。
カズさんなんて岡田さんと出会って代表落とされて、サッカーへの「確信」が持てたのだと思う。だからその中に入れたのだろう。
そうでなければカズさんはもうとっくに引退していたようにさえ思える。
ペレやクライフやマラドーナもそう。
そういう人はみんな自分がピッチに立った瞬間にゴールを取る事の「確信」があるのだろう。
その「確信」に辿り着けた者だけが感じられる世界があるのだろう。
「確信」を身につける年代、確固たる「確信」をもってトレーニングをやり続ける選手。その選手が世界に辿り着ける。
人間力は必要なんだけど、それは強制されるものではない。
人間力そして、「確信」をどうやって選手に求めていくのか。
極論だが選手を眺めているだけでもよいのかもしれない。
理論とかトレーニングパターンを言葉で選手に理解させてしまう。
大人の言葉で納得させてしまうのは選手の思考を退化させる。
「選手の為に教える」という思考からは、想像力も発想力も奪われてしまう。
言葉じゃなくて、脳科学とか学習の中から彼らが人間力を学んだわけではなくて、サッカーを楽しんでいる中で、試行錯誤する中で、自然に人間力を身につけ、常識を身につけていくのだ。
心技体は、色々な人間と出会って身につけて行くものなのだろう。
その中の一人として指導者は携わっているだけなのだろう。
長嶋茂雄さんや王貞治さんが失礼ながら人間力を勉強してきたわけではない。
それでも人間力は超越している。これは誰に教わったわけではない。
我々指導者の存在が「無」であり「有」でなくてはならないと確信している。
それがある意味マニュアルで教えている指導者とそうでない指導者との「確信」の差でもある。
中田英寿さんは育成年代でコーチから特別な事は教わっていなかった。
コーチも彼を教えられなかったのだと思う。
中田さんは同年代の多くの選手達から自分で学んだのだと思う。
それが世界で必要だと自分で「確信」したから世界へ行けた。
私はそう思う。
「確信」の本質。それは。
リフティング100回を100回成功させれば「確信」に変わる。
どこかのタイミングで、九九を覚えるように、何度も何度も反復練習をして身につけなくてはならない時がある。
音楽でも陶芸でも全ての世界で理由なんて必要ない。
ひたすら同じ曲を弾き続ける。
轆轤を回し続ける。焼き続ける。
何時間も・何日も・何ヶ月も・。
そんな自分と向き合う中から、失敗の中から、経験となり、知識となり、想像が生まれ、発想が生まれ、やがてそれは「確信」となる。
「確信」を持った選手が世界へ行く。
「確信」を求め続ける「確信」が一生続くのだろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?