ゲーム脳は妄想だけど、世界は依存症ビジネスであふれてる

 2002年に脳科学者の森昭雄が、著書『ゲーム脳の恐怖』において
「ゲームに熱中している子供の前頭前野のβ波(脳波)が低下している。これはゲームが子供の脳にダメージを与えている証拠だ」
 との自説を展開し、「ゲーム脳」としてパニックを煽った。昨年香川県で成立した、十八歳未満のゲーム・ネット使用時間を規制する「香川県ネット・ゲーム依存症対策条例」もこの影響を受けている。
 しかし「ゲーム脳」はその後、名だたる脳科学者たちから猛烈な反論を受け、今では「ニセ科学」であることがほぼ確定している。
「では子供にゲームをいくらやらせても安全なのか」
 そうは行かないので難しい。「ゲーム依存」 は明らかに存在するし、子供だけでなく大人だってゲーム依存に陥る危険はある。
 ここではまず依存(依存症)の定義から話を始めたい。
「何らかの物質や行動に対し、それなくしては多大な苦痛を感じ、そのために社会生活に重大な影響が出ている状態」
 本人が苦痛を感じ、かつ社会生活に影響が出ている場合のみが依存症であり、本人がコントロールできている場合は、どれほど熱中していようとも依存症ではない、という点にご注意いただきたい。もちろん物質だけでなく、ゲームやギャンブル、買い物などの行動も依存症足り得る。
 依存症は脳の報酬系の異常である。ものすごく簡単に言うと、脳の報酬系には「快楽」と「欲求」の二系統があり、「欲求」が満たされると「快楽」を感じるようになっているのだが、依存症に陥った脳では「欲求」だけが暴走している。
 依存症患者は「欲求」が満たされないと多大な苦痛を感じるが、満たされてももはや「快楽」は動作しない。依存症患者は、苦痛を緩和するためだけに、物質あるいは行動嗜癖を続けるのである。
 物質嗜癖が、報酬系を誤動作させる物質(アルコールや麻薬など)によって引き起こされるのは言うまでもないが、行動嗜癖もまた脳のバグである。人間は狩猟採集をしていた時代の名残で
「確率で起こったり起こらなかったりする事象を試さずにはいられない」
 システムを脳内に持っている。獲物を待ち伏せしたり、新しい狩猟のテクニックを試したりするためには、不可欠であったシステムだが、都市生活においては、これが依存をもたらす。そしてもう一つ。これも狩猟採集時代の名残で
「人間は行動に対して反応があることにハマる」
 本来、狩猟の新たなテクニックを開発したりすることに役立っていたであろう、このシステムもまた、都市生活において人間を依存に導く。
 ゲーム(入力に対して反応がある)やSNS(書き込みに対して「いいね」等の反応がある) がこれらのシステムを直撃するのは言うまでもない。ソーシャルゲームに実装されている「ガチャ」に至っては、確率に対する反応のシステムまで直撃するので、危険度はうなぎ登りである。
 ではスマホを手放そうか? いやいや、一歩外に出れば、都市は依存症ビジネスで満ちている。駅前には、光と音で理性を麻痺させた上で、行動嗜癖の原因となるシステムを直撃する、パチンコ店が立ち並ぶ。大麻より危険とも言われる(大麻が安全という意味ではない)アルコールやニコチンが合法で販売されている。
 コンビニに一歩入れば、狩猟採集時代には貴重だったがゆえに、我々を抵抗できなくさせる魔力を持つスイーツ(砂糖)が並んでいる。都市生活を続けるためには買い物が不可欠だが、ショッピングモールも(Amazon などの)ショッピングサイトも、我々の理性を麻痺させ、買い物依存へと導く。我々は依存症ビジネスに、完全包囲されているのである。
 ただし、現実の世界を見れば分かるように、依存症ビジネスに包囲されていても、実際に依存症にまで至る人の数はごくわずかである。依存症当事者の当事者研究からは
「強い苦痛(ストレス)にさらされている環境では、依存症が発生しやすい」
 可能性が示唆されている。現代日本の高ストレス社会ぶりを考慮すれば、これからも依存症患者は増えていくであろう。
 しかしこういう言葉もある。
「自立とは、多くの相手に少しずつ、健全に依存すること」
 近年の研究では、人間関係という資源を安定して手に入れることが、依存症からの脱出の成否に大きく影響することが示唆されている。
 依存症ビジネスから逃れるのは難しいし、ストレス社会を耐え抜くには、健全な依存による、度を越さない酩酊が不可欠だ。何とかうまいことバランスを保って、やって行きたいものである。

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