「音」


場を支配するのは、音だと思う。シーンと静まり返っている時、何かしらの物音を立てている人間がその場を支配している。コツコツと指を机に叩いたり、咳払いをしたり、ボールペンをカチカチとやったり‥
僕は音を支配するのが好きだ。派遣のバイト先で僕は錆のついたネジを工具でこじ開ける作業をしていた。倉庫は静まり返っていて、人々は黙々と作業に従事していた。僕の工具とネジから発せられる不愉快な音がだだっ広い倉庫をこだました。不快な音というのは発している本人にとっては快感でさえあるのだ。工具のボタンを押すと、人々が眉をしかめるのが分かる。人々の耳と表情を支配しているのはこの僕なのだ。工具のボタンを握っては離し、握っては離し、しばらく音を立てないでいると、人々がホッと安心する瞬間がある。その時にちょこっとボタンを押せばまた人々は不愉快になる。ちょこっと押して、すぐさまやめて、次は長く押し、次も長く、長く長く、短く、長く短く、短く短く、そして長く。
僕はその場で一番偉くなれた気がした。きっと建設現場で働いている人というのは、僕よりもっと音を支配する充実感に心踊らされているだろう。彼らは半径100m以内の音を支配できて、仕事仲間だけでなく、会社員から主婦から学生から老人から赤ん坊まですべての人の耳を支配できるのだ。
思うに、人は普段から大きな音を出したいという欲望を抱えていて、欲求不満なのだと思う。電車でいきなり叫ぶわけにはいかないし、大音量で音楽を流すわけにもいかない。近所迷惑になるからだ。唯一子供だけがそれを許された存在ではあるが、母から静かにしなさいと言われれば大声を出せる場所は限定されている。 あなたが思いっきり声を張り上げた最後の瞬間はいつだろうか。きっと遠い遠い昔の幼年時代しか残ってはいないだろう。
カラオケに行く人、車から音楽を流したり、エンジン音を轟かす人、女子高生がこれでもかと不必要なくらい大きな声で笑うこと。どれをとっても人々の耳を支配したい、人の表情を支配したいという欲望からきているに違いない。
この点、接客業者はとても恵まれている。大きな声を出すことが仕事を熱心にしている証拠にもなるからだ。反対に図書館の司書は不憫である。
僕は派遣の仕事を辞めて、ある居酒屋で働いている。道行く人々に声をかけるのだ。「いらっしゃいませ!」と。この時僕は至上で最も幸福な人の1人になれる。

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