植民地ニッポン② 戸籍制度と日本侵略
昭和44年に明治時代の壬申戸籍が全て廃棄されたことをご存じだろうか?
それと同時に明治43年(1910)以前の戸籍も廃棄されたと思われる。
昭和44年当時の政権は自民党、時の総理大臣は佐藤栄作である。
GoogleAI検索の結果は、以下の通り。
実は法務局に保管されているという説も存在するほど真偽が定かではないが、現在閲覧できないということは公的には廃棄されたと解釈していいだろう。
何の目的で廃棄を行ったのだろうか?
簡単に調らべてみると、不可解な点が多数出てくるから不思議だ。
明治以降の戸籍制度
明治4年(1871)に戸籍法が制定され、改定の度に保管期間が延長されてきた。
1871年まで遡れなければ意味がないと考えると当然だが、
明治4年(1871)当初は50年
昭和36年(1961)に50→80年へ
平成22年(2010)に80→150年へ
よく見ると幾つも穴がある。
論理的ではないのだ。
保管期間が設定されているにも関わらず、1921~1961年の期間は50年経過した古いもの、明治43年(1910)以前のものを廃棄することが可能だったわけだ。ところが昭和36年(1961)に保管期間を80年とする改定を行い、明治14年1881)以降は再度保管されることとなった。
同様に次の改正前の平成22年(2009)の段階では、1930年以前の戸籍は廃棄される可能性があったのに、平成22年(2010)には150年へ延長し、令和3年(2021)までは1871年まで遡って保管されるよう法改正がなされた。
全てを残したければ500年でも1000年でも設定すればよいし、そもそも保管期間を設定する必要がない。ある過去の一時期は廃棄対象となりその後保管対象となっている。論理的であるはずの法制度が、論理的でないのだ。
では何故1921~1961年の間古いものの廃棄が可能であったにも拘らず、
昭和44年(1969)に古い戸籍の廃棄が行われたのか?
昭和36年(1961)に50→80年へ改正
昭和44年(1969)から当時の保管期間80年を遡ると1889年である。
80年への延長改定を行うと廃棄できる1889年以前の戸籍の期間はそれほど多くはない。
一方で昭和43年(1968)という、その時点保管期間50年になり廃棄できる最も重要な年次、明治43年(1910)以前の戸籍を廃棄できる年がくるまで、保管期間の延長を行わなかったのではないかという疑念を持つのは筆者だけではないだろう。
明治43年(1910)に何があったのか?そう日韓併合である。
明治43年(1910)以降、半島に住む人々は日本人となり、彼らの戸籍も作られ当然本籍地も記載されたのだろう。また多くの朝鮮半島出身者が日本列島に来日したとされている。
昭和36年(1961)の段階で本来廃棄されているべき壬申戸籍を含む戸籍が、廃棄されていないことに気付き、慌てて昭和44年(1969)に廃棄を指示した。と考えられても不思議ではない。
つまり明治43年(1910)以前に半島から渡り、その後帰化した人々のルーツが半島であることを公に証明する書類が、現時点では存在しないことになる。
現在の本籍地表記と通名使用
運転免許証に本籍地記載が無くなったのが2007年。ICチップ内情報ということで記載が無くなった。本籍地が判ることによる差別を主張するもの、
マイナンバーカード導入によって戸籍廃止を主張するものもいる。。
通常の日本人であれば、もしお子さんがいる方なら娘が結婚する相手の氏素性について出来る限り知りたいと思うのは当然だ。本籍地の開示が差別につながることも一方で事実であるので、これらの良い面、悪い面を明らかにした上で議論されているのであればよいが、世の中のポリティカルコレクトネス、いわゆるポリコレ、多様性の確保、差別はいけない、という一見正しそうなプロパガンダによって何も考えず受け入れているとすれば問題だろう。
「共産主義者や左翼、人権派が差別の基となる戸籍廃止を主張する」というのが世間一般の意見だが、(もっとも通名利用や本籍地不記載によってこれらを主張する声は以前より少ないが)は異なる見方、
「グローバリストが侵略するための方便」とすると問題だ。
分断工作と偽情報によって、それを左翼思想として非難、批判させれば、本当に行いたいことの目的を伏せたまま実行することができる。それこそが賢いグローバルエリートが考え付きそうなことだ。
本論考の端緒は、あるフォロワーさんとのやり取りの中で教えて頂いた昭和44年の戸籍廃棄についてである。その他の情報はインターネットで検索できるものを拾い集めただけで、専門書等が存在することも知らないし、調べてもいない。もし詳細を確認するのであればそれらに当たってもらうことをお薦めする。
さいごに
ここで言いたかったことは
少し調べれば類推できると読んだ後では理解できるが、
様々な仮説を否定せずじっくりと考えてみなければ自分自身で答えを出すことが難しいということだ。
簡単に自分の頭で考えるというが、事前知識の蓄積があってこそ、何かがおかしいのではという疑問があってこそ、一般に言われていることが本当にそうなのかと疑う視点があってこそ、その知識を活かして考えることができる。
私も含め、現代日本人は余りに歴史に疎く、本来必要な情報を得ずに、それほど重要でない平安期以降~幕末までの歴史を、歴史として認識し、今の自分たちにとって必要な歴史知識を積み上げていないことへの警鐘、そして自分への戒めでもある。
改めて疑問をもって歴史を調べてみることをお薦めする。
また近代史知識の蓄積を高めていくことこそが国防につながると感じた。