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#2, 自閉症の人の見えている世界

皆さんは、自閉症と呼ばれる子供たちがどんな世界に住んでいるかを想像したことがあるだろうか。私の息子はアスペルガーと呼ばれる自閉症。どうしても、何度説明しても伝わらないことがある時に、私はふと、自分たちが住んでいる世界以外にも、もう一つ湖面や鏡に移っている世界があるということを思い浮かべることがある。例えば、湖面には木が逆さまに映っているように、私たちが普通に考える木の植え方とは違って、彼らにとってはもしかしたら木は逆さまに植えるものなのかもしれない。そんなことを良く考えたりする。いわゆる常識と呼ばれる言葉が存在しないかのように。。。

良く自閉症の人は自分の側からしか物事を見ることが出来ないという表現をされることがある。自分の今見えている、感じている世界が全てで、相手側の立場やイレギュラーなことなどについて思考することが苦手だ。

私の息子は時間に非常に厳しいところがある。例えば、私が14時から1時間オンラインでミーティングがあると言ったとしよう。15時ピッタリに終わらなかった時には、形相を変えて癇癪をおこして怒ってやってくる。何度もミーティングやお仕事は相手がいることだから、きっちりこちらの都合で終えられない時もあるのよ、と教えてみても、そんなこと時間のこだわりの強い彼にとっては「どうでもいい、関係ない」の一言。1時間は1時間、15時終了は15時終了なのだ。

なので、私は良く、1時間のミーティングなら30分くらい多め彼に話すことにしている。14時から15時半までの予定が15時10分に終わったとしたら、それは彼にとっては「今日は早く終わったね」で笑顔になれるからだ(その時の本人の機嫌によってはそうともいかないことも多々あるけれど。。。)

もう一つの例。彼はプレゼントのサプライスが大嫌いだ。クリスマスや、誕生日、何が欲しいのか、そしてその欲しいものがラッピングされてあることが何よりも大事なのだ。それに気づくまではの小さな頃は、良くサプライスを仕掛けてはがっかりして大泣きされたり、外から見て期待していた内容と違ったものが出てきて、心が対応しきれずに酷いメルトダウンを起こしてしまったり。。。それらを成長とともに学んできた私たちは、彼にプレゼントをあげる時は必ず一緒に選び、そして目の前でラッピングをする。そうすることで、彼の中の「それ」がもらえる楽しみは「その日」まで保たれて、そして開けたときも、やっぱり「それ」が出てきて大喜びが出来るのだ。

でも、果たして、これらのことって、自閉症の人達の対応だけに言えることなのだろうか。誰もが自分側からの物の見方を持っている。もし、自分が正しいと信じて相手を責める時に、ほんの少しでも、相手側の立場を考えることが出来て、それに配慮した対応が出来たならば、世の中の争いのほとんどは平和な話し合いと尊重の中で解決出来るのではないだろうか。

相手には相手の暮らしている世界があり、その時の気分があり、その時の余力がある。もし、相手に嫌なことを言われたとしたら、その人の背景にほんの少し思いを馳せてみてはどうだろうか。もしかしたら、昨日良く眠れずにイライラしていたかもしれない、もしかしたらこの人は、すぐに攻撃的な言葉を口にしてしまう性格かもしれない、そしてその性格はもしかしたら、その人の辛い過去や生い立ち、家族関係などから来ているのかもしれない。。。などなど。

そんなふうに、私も含めて、みんな一人ひとりが、ほんの少しだけ相手の、そして回りにいる人の立場に思いを馳せることが出来て、相手が気持ちよく過ごせる配慮が出来るようになれば、世の中はもっともっと笑顔で包まれるようになっていくのではないだろうか。

自閉症の息子の笑顔は私にそんなことを教えてくれる。

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