『数分間のエールを』を観た話

『数分間のエールを』を観ました。

作品そのものの感想というよりは、鑑賞して僕が思ったことを書き留めた内容になります。

モノづくりの“動機”

この作品を観て、モノづくりの動機の一つに「自分のつくったもので誰かの心を動かしたい」があるなぁ、ということを思い出しました。
僕自身があまりそういう気持ちでモノづくりをしていない(後述)ので、主人公が持つこの一貫した動機がとても真っ直ぐで、とても青春だなぁと印象に残りました。

手段はともかく、誰かの心を動かしたいというのは、ものすごいエゴです。
でも、創作というものほどエゴに満ち溢れたものはありません。その上で、誰かの心を動かしたいというのはさらにエゴだ、ということです。超弩級エゴ。

「誰かの心を動かしたい」とは、あえて悪い言い方をすれば「自分の作品で他人の感情を思うがままに操りたい」ということです。ちょっと歴史を振り返ると、思い当たる節があるのではないでしょうか。「自分のつくったもので誰かの心を動かしたい」というのは、実は結構とんでもない野望なのです。もちろん、この作品の主人公は悪いことなんか微塵も考えていないピュアでイケイケなクリエイターですし、それこそが彼の魅力と言えます。

また、「誰かの心を動かしたい」と似て非なるエゴとして「他人に認められたい(承認欲求)」があります。作品中でもそれを示唆する描写が何度か出てきていました。

どちらも他人が関わってくる(自己完結しない)ので、叶えるのは大変です。だからこそ、つくっている最中に苦しみや葛藤が生まれ、願いが叶ったときの喜びがあるのです。

ここからは、僕個人の自分語りっぽい内容になります。映画の感想だけで十分な方はこれ以降を読む必要はありません。

自己完結型の創作

「自分のつくったもので誰かの心を動かしたい」という他者に依存する動機に比べると、僕がやっている自己完結型の創作は気持ち的に楽なのだなあと思いました。

僕がTRPGのシナリオをつくったり小説を書いたりする動機は、大きく分けて二つあります。

  1. 思いついたアイデアや想像を形にしておきたいから

  2. つくるのが楽しいから

どちらの動機も他人は関係ありません。大っぴらに言えば自分さえ満足すればそれで良いのです。つくったらそれでおしまい。めでたしめでたし。ある意味で「誰かの心を動かしたい」という動機や承認欲求よりもエゴにまみれていると言えるかもしれません。

――自己満足でやっているなら、公開しなくて良いのでは?
その通りです。
でも、それだとせっかく生み出した作品たちが浮かばれないので、公開しています。あと、つくっただけで満足しているとはいえ、感想や反応をもらえたら普通に嬉しいです。いつもありがとうございます。

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