見出し画像

新生児低体温療法 出産後2日目

ICU(集中治療室)で麻酔により寝ている妻の隣にパイプ椅子を数個並べて仮眠して起きたのが8時過ぎ(3時間程度の睡眠)。

その頃には妻も目を覚ましたが酸素吸入器が口についていたのでうまくしゃべれなかった。起きて少し話していたが「ちゃんと産んであげられなかった」と言われ私は「そんなことはない!妻も頑張った!意識を失って痙攣を起こしたのによく生きて戻ってきてくれた!そして今、息子も頑張っている!」と心の中で思い泣いてしまっていた。

この時、妻には息子は生まれた後の詳細な検査をするために別の病院に移っていると伝えた。こども病院のNICU(新生児特定集中治療室)にいて新生児低酸素性虚血性脳症という状態になっているかもとは伝えなかった。

しばらく話したあと妻の両親が戻ってきたので一緒に妻の入院生活に必要な衣類や昨日、緊急搬送前にいた病院に停めてある車を取りに向かった。

向かう車中、妻の父が「娘も孫も命に別状が無くて良かった!このあと何があろうと皆で協力すればなんとなかできる!」と明るく振舞ってくれた。普段は酒飲んでガッハッハ系の親父だがこういう時も明るいのはありがたかった。

全て採り集め、妻がいる病院に行く前にみんなで息子がいる大病院に行って会ってきた。

新生児低体温療法を72時間実施途中のため入院時と変わらず眠ったまま。昨日は気が動転していたことや夜中だったのでNICU内の電気が暗くなっていたこともあり周りに目が行かなかったが、他にも多くの子供達が入院しているのが目に入った。

早産のため未熟児で入院した子や機能障害を持って生まれた子達がいた。生まれたばかりの子から2,3歳くらいの子までいただろうか。自分が今まで見てきた世界はこういう現実が切り取られたものだったと感じた(情報として与えられる機会はあったかもしれないが自分側がキャッチしようとしていなかっただけか)。

この日、日中だったため改めて担当となったお医者さんと看護師さんと話ができた。新生児低体温療法は体温を34℃まで下げるため別の病気を起こすリスクがあるのだが、今のところ息子は順調とのこと。また、起きる頃には母乳が必要になるから母乳を冷凍して持ってきて欲しいという説明も受けた。

画像1

頑張っている息子に妻の両親とともに頑張れと伝えた。自分の生に対して真っ向から戦っている息子の姿を見て、元気になろう!という意志をすごく感じた。

息子に会った後、妻の病院へ行き、入院の手続きと衣類などを渡し、話をしたが、早朝話した時は麻酔が残っていたこともあり、記憶があやふやだったようだ。自分がなぜ別の病院に運ばれたかもわかっていなかったようだ。一通り再度説明し、息子が妻のいる病院にはいないことを伝える。「はやく会いたいなぁ」と言われたので意を決して息子の詳細と写真を見せることにした。

申し訳なさで泣いてしまうのかと思ったが、妻の反応は違い、生まれててよかった。というものだった。どうやら緊急帝王切開のため自分でも気づいたらお腹中の子供がいなくなっており、産んだ気がないとのことだった。生まれて頑張っている息子をみて、早くあって抱っ子したいと、自身もICUにいるにも関わらず言う妻に母としての強さを感じた。

ここまでで出産から緊急帝王切開、息子の入院、新生児低酸素性虚血性脳症から新生児低体温療法開始まで怒涛の勢いで進んだが、なんとか現状2人とも無事でよかったと言える状態になった。

ここから、毎日、仕事後、こども病院と妻の病院へ行く日々が始まった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?