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トートロジーと稚拙な駄洒落

トートロジー(tautology)とは、ある事柄を述べるのに、同義語/類語/同語を繰り返し使う修辞技法のことです。日本語では、同語反復や同義語反復と訳されます。こう説明すると、何やら難しいことのようですが、”小泉構文”といえばピンとくるかもしれません。”小泉構文”あるいは”進次郎構文”とは、元環境大臣の小泉進次郎議員による”語彙力の低さが露呈して 情報としての機能をなしていない 文章”のことを指します。具体的には「今のままではいけないと思います。だからこそ日本は今のままではいけないと思っていると・・・」のような文章(実例)です。

同語反復どうごはんぷくとは、「私は私であり、君は君である」のように、等値を示す語によって同じ言葉を繰り返すことです。 文学、哲学、評論等で、言語表現のひとつとして使われますが、個人的には”使う人を選ぶ”表現方法だと思っています。エライ哲学者の先生が、「私は私であり、君は君である」と言えば、「そうなのかもしれないなぁ。哲学は奥が深い・・・」と思うかもしれませんが、同じことを近所のおじいちゃんが言えば、「この人、ボケちゃったのかなぁ?」と思うでしょう。

Wiki先生には、以下のようなトートロジーの例文が載っています。短い例文だけを紹介すると、1)未成年の小学生、2)力とはパワーだ、3)知る人ぞ知る というのがありました。私が考えた例文は、『繰り返しリピートする』です。”知る人ぞ知る”という表現は、結構使われていそうですが、”力とはパワーだ”と力強く言われても、「それがどうした?」と思ってしまいます。

数年前まで、「お体をご自愛ください」という間違った言い回しを使っていましたが、この表現は”馬から落馬した”のような冗長な表現です。正しい使い方は、「ご自愛ください」で、前半の”お体を”は必要ありません。このような表現も、広義のトートロジーと考えてもよさそうです。

トートロジーとは違いますが、駄洒落だじゃれの中にはトートロジーに似たものがあります。比較的定番のものには、1)イルカは居るか?、2)ラクダは楽だ!、3)布団が吹っ飛んだ、4)下手なシャレは、よしなシャレ 等があります。

話は変わりますが、10数年前に『東大話法』に関する本↓↓を読みました。東大話法と呼ばれるものにはいくつかのパターンがありますが、その中には「もし間違っているとしたら、謝罪いたします」というのがありました。これは、反語のような表現で、”私は間違っていないので、心からの謝罪はしません”という意思表示になります。『頭の良い人は賢い』。これもトートロジーです。


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