徳川家康の正式な名前を知っていますか?
2023年1月8日、つまり明日から始まる今年のNHK大河ドラマは『どうする家康』です。主人公を演じるのは、マツジュンの愛称で知られる松本潤さんです。松本潤さんが演じる徳川家康という名前は、かなり後になった時の名前で、最初の名前は松平元康です。松平家は三河国加茂郡松平郷の小豪族で、元康の時代には松平氏はかなり衰退していて、今川家の人質として幼年期・青年期を送っていました。しかし、その後盛り返して徳川幕府を開くので、大出世したことは歴史が証明しています。
徳川家康の人生には大きな選択肢が何度もやって来ます。そのほとんどが苦渋の選択です。今度のドラマは、この”苦渋の選択”にフォーカスしているようです。家康の半生が知りたい人は、歴史小説家の山岡荘八さんが書いた『徳川家康』がお薦めです。
ところで、徳川家康の正式な名前を知っていますか?。徳川家康に限らず、身分の高い武士などは、とても長い名前を持っています。家康の正式な名前は次の通りです。
徳川・次郎三郎・源・朝臣・家康
最初の徳川は家名です。永禄9年12月29日(西暦1567年2月8日)、松平家康は朝廷から徳川姓を許されて、徳川家康と名乗りました。この時、従五位下三河守に叙任され、名実ともに三河の国の守護になりました。
次の次郎三郎は、字です。一般的にはこの字が、”普段使いのカジュアルな名前”として使われることになります。というのも、最後に出てくる最も重要な名前は、軽々しく呼んではいけない名前だったのです。昔は、人を呪う呪詛が信じられていたので、本当の名前を呼ぶことが憚られていました。昨年の大河ドラマに出てきた悲劇の武将・源義経の字は九郎です。ドラマ中も、ヨシツネと呼ばれることは無く、ほぼクロウと呼ばれていました。
三番目の源は氏で、その一族のルーツを表わしています。氏の種類は少なく、源以外では蘇我・物部・平・藤原・豊臣くらいです。氏族は種類が少ないので、時間が経つと混乱が生じてきました。親戚一同みな同じ性なので、区別するのが難しくなってきたのです。そこで、家名の出番がやって来ました。藤原氏は”藤”の一字は残して、他の漢字と組み合わせることでこの問題を解決しました。加藤・工藤・斎藤などはこの例です。また、源氏や平氏は、自分の領地の地名を名乗ることにしました。室町幕府を作った足利氏は下野国足利を領地を持った源氏です。同時期に活躍した新田義貞は上野国新田をルーツに持つ源氏の御家人です。
4番目の姓は、氏族の序列を表わしています。上から4つが特に位が高く、真人・朝臣・宿禰・忌寸の順番です。真人は皇族なので、家康の朝臣は民間人では最高の姓になります。
最後の家康は諱と言われる”個人の正式名称”となります。この諱は”忌み名”とも表記され、霊的な意味を持っています。前述の呪詛のこともあり、この正式名称である諱を呼んでいいのは主君か親だけでした。現在の戸籍制度では、名前が簡略化され、家名・氏・姓がどれか一つに統一されています。また、通称であるアザナと本名であるイミナが統一され、現在の名前になっています。
最初の家名に戻りますが、徳川を名乗って良いのは徳川宗家と、御三家、それと後に作られた御三卿です。江戸時代、家康の元々の家名である松平は、将軍家と祖先を同じくする譜代の家臣の家名となりました。つまり、松平は家康の親戚筋に当たります。また、あまり知られていませんが、勢力や格式ある外様大名には”松平”を授けました。このため、江戸時代の伊達さん、前田さん、毛利さん、黒田さんは、正式には松平さんでした。
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