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非寛容な世界に未来はあるか?

SNSなどの誹謗中傷が原因で、命を絶つ若者が増えるのは悲しいことです。マンガやドラマのように”転生てんせい”して生き返ることはありませんから、死んでしまえばそれまでです。残念ながら人間は誕生した瞬間から、死が決定づけられています。どんなに長生きしても、普通は百歳が限界です。一度しかない人生ですから、生を全うして欲しいと思うのは、私だけではないはずです。

言論の自由は誰にも認められています。しかし、何でも言って良いわけではありません。インターネットの世界では匿名性が高いので、何を言っても許されると勘違いする人が少なくありませんが、そんなことはないのです。特定の個人への”謂れなき”誹謗中傷は、言葉による暴力に他なりません。自分がその立場に置かれれば簡単に理解できると思うのですが・・・。

エラそうなことを言うつもりはありませんが、「人に優しくない世界に未来はあるのでしょうか?」。

現在、世界の人口は80億人を超えました。半世紀前の私が小学生の頃は、35億人と習いましたから、その頃から二倍以上に増えています。こんなに反映している人類も、自然災害や環境変化などが原因で数千人から数万人程度まで数を減らした時期があったそうです。その時に絶滅しなかったのは、「集団内で助け合いが出来たからではないか?」という仮説が立てられています。この仮説が正しいかどうかは証明のしようがありませんが、興味深い仮説です。環境の激変で食料が少なくなった時、助け合うことで飢えを凌いだと考えられているのです。

この仮説を聞いた時、昔どこかで聞いた、ある部族の結婚許可のエピソードを思い出しました。その部族では男性が結婚したいと思っても、花嫁側の父親の許可が無いと結婚が許されないそうです。その父親は花婿候補の普段の行いや生活習慣を観察するそうです。特に注目するのは、狩りの後の行動です。狩りの獲物は集団内で分けるのが基本ですが、自分で取った獲物なので自分の分が多くなるように分けたいのは人情です。しかし、そんなことをすれば花婿にはなれません。花婿候補が真っ先にしないといけないのは、狩りに行けないケガ人や高齢者の所に獲物を届けてあげることです。これができないと結婚できないのです。

誰かが誰かを攻撃するギスギスした社会では、人は生き難いです。他人に親切に出来るのは理想的ですが、そこまでしなくても、他人を傷つけないことは最低限のルールです。肉体的または精神的な暴力に、良いことはひとつもありません。

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