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絵の無いマンガ#1 『ニートから清掃員、そして・・・』

 俺は山田太郎(仮)。年齢は28歳だ。身長170センチ、体重60キロのメガネ男子で、どちらかといえば人付き合いが苦手な陰キャだ。現在、とある事情で絶賛ニート中である。半年前まで会社勤めをしていたが、サービス残業が当たり前の勤務が仇となって、体を壊して退職した。勤めていた頃は毎日寝不足で食事も十分でなかったため、過労で精神的にも病んでしまった。仕事はそれなりにこなしていたが、職場の人間関係の悪さも退職の理由の一つだ。

 半年間のニート生活で、体調も徐々に戻ってきた。そろそろ、雇用保険の受給が終わりになるので、新しい仕事を見つけたいが、以前のようなフルタイムの仕事はコリゴリだ。一応それなりの貯えがあるので、当面はお金の心配はいらない。ハローワークのWEBサイトを覗くと、清掃会社の求人が目に留まった。俺はこう見えてもきれい好きで、掃除は得意だ。ニートというと汚部屋おべやを想像するだろうが、俺の部屋はいつもきちんと整理整頓されている。これは実家で同居していた祖母の影響で、「部屋の乱れは心の乱れ」を小さい頃から叩き込まれたためだ。

 清掃会社の面接を経て、パートの従業員として採用された。この清掃会社は、都心のオフィスを中心に事業を展開していて、俺は都内のIT関連企業に派遣されることになった。同僚は、40代から50代の女性が多かったが、清掃作業の指導員になったのは、2歳年上の鈴木花子(仮)さんだった。鈴木さんは、子持ちのシングルマザーという噂だったが、実年齢より若く見え、いつもテキパキと仕事をこなす有能な女性だった。鈴木さんの指導は、丁寧で的確だったので、お掃除好きの俺は仕事をすぐに覚えた。最初は、4階のフロアの掃除の一部を任されることになった。

 このビルの4階には、IT企業のセキュリティ部門が入っていた。清掃の仕事にはすぐに慣れたが、少し問題があった。この部署の九頭くず課長が典型的なマウント志向で、事ある毎に清掃員たちを見下し、馬鹿にしてくるのだ。つい先日も、「学歴の無い奴はクズだ。そんなことだから、清掃員のような仕事しかできないんだ」と暴言を吐いてきた。俺は、煩いセミが鳴いているんだと言い聞かせて、やり過ごしていた。しかし、九頭課長は鈴木さんにも嫌がらせをしているようだった。

 九頭課長を除けば、このフロアの従業員は優しい人が多く、俺たち清掃員にもよく挨拶してくれた。特に新入社員の佐藤良子(仮)さんは、いつも元気に「お早うございます」と挨拶してくれるのだった。このフロアに配属されて2週間が過ぎた頃だった。昼休みが終わった頃、九頭課長が鈴木さんに向かって大声で怒鳴っているのが聞こえた。「大事な書類が紛失した。きっとお前らの誰かが盗んだんだろう」と言いがかりを付けていた。鈴木さんは極めて冷静に「弊社へいしゃにはそのようなものは一人もおりません。何かのお間違いでしょう。もう一度探してみてはいかがでしょうか」と丁寧に諭していた。

 九頭課長は、なおも執拗に「あの男が盗んだんじゃないか?」と俺を指さしながら鈴木さんに詰め寄って行った。その時、佐藤さんが課長に言った。「さきほど、課長の奥様から電話がありました。中身は見ていないが重要そうな書類なので連絡したとのことでした。バイク便で発送したとのことで、あと30分くらいで届くそうです」。九頭課長は「そうか・・・」と言ったきり、鈴木さんに謝罪もせずに立ち去って行った。俺が佐藤さんにお礼を言うと、「課長が悪いんですよ。自分が書類を忘れておきながら・・・」。鈴木さんも「もう忘れましょう」とニッコリと微笑んだ。

 さらに2週間後。朝の掃除を始める10時前に、4階で掃除の準備をしていたら、4階全体が騒然となっていた。たまたま通りかかった佐藤さんに聞いてみると、セキュリティ部門なのに、システムがコンピュータウイルスに感染したとのことだった。どうやら、『エモテット』タイプのウイルスのようだった。エモテットは、送られてきたメールの添付ファイルを開くなどして感染すると、端末の連絡先やメールの内容が盗み取られ、知り合いや取引先と過去に実際にやりとりした文書を引用するなどして偽のメールを広げていく、最新型のコンピュータウイルスだ。

 九頭課長は「何とかしろ!」と部下たちを怒鳴り散らすだけで、何もできないままだった。優秀な新入社員の佐藤さんも、まだ経験が浅くお手上げのようだった。「僕が何とかしてみましょうか?」と佐藤さんに聞くと、横から九頭課長が「お前のような低学歴に何ができる!」と一喝してきた。俺は佐藤さんを助けたかったので、仕方なく反論した。「僕はT大学の情報セキュリティ学科の大学院を修了しています。大変失礼ですが、九頭課長よりは高学歴だと思うのですが・・・」。俺の前職はシステムエンジニアで、コンピュータウイルスのワクチンソフトウェアを開発していた。

 重役会議から戻った木村部長が、この一連のやりとりを聞いていた。「君ならコンピュータウイルスを駆除できるのか?」。「はい、やってみます」。「それではお願いしよう」。俺は以前にエモテットを駆除した経験があったので、30分くらいでコンピュータウイルスを終息させた。「山田さん、凄いです」と佐藤さんに褒められた。木村部長からも「あとでキチンとお礼が言いたい」と感謝された。

 エモテットの感染の原因は、九頭課長による不用意な添付ファイルの閲覧だった。不審なメールの添付ファイルは開かないのがセキュリティ部門の常識だが、九頭課長にはその常識が無かったようだ。それから、九頭課長にはパワハラやセクハラの悪行が次々と発覚し、結局会社を追い出されることになった。簡単に言えばクビになったのだった。

 俺が、その後どうなったかだって?。俺は、その後、木村部長の懇願もあって、この会社に途中入社することになった。ただし木村部長には、残業をしないという条件ならと、無理を言って雇ってもらった。清掃会社の派遣社員からIT企業の正社員への転職は、かなり珍しいと思うのだが・・・。佐藤さんとは同僚になって、いまは隣同士の席で仕事をしている。鈴木さんとは、結婚を前提にお付き合いをさせて頂いている。俺は甘えん坊なので、姉さん女房に憧れていたのだ。

 もうすぐ、退社時間だ。今日も定時退社。これから花子さんとのデートだ。

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