ここで言う出物とは、一般的にはオナラのことですが、便や鼻水、涙などを指す場合もあるようです。腫れ物とは、オデキやニキビなどのことを指します。この諺は、体の内部にあるものは、時や場所を選ばずに出るもので、出たところで咎めることはできないという意味です。通常は、うっかりオナラが出てしまった時の言い訳として使われます。私は”所構わず”と覚えていましたが、”所嫌わず”とも言うみたいです。
少し前ですが、職場のトイレで用を足していると、後から来た人が隣に並んで、いきなり大きな音で「ブーッ」と出しました。急なことなので、ショックを受けましたが、文句は言う勇気がありません。同じような経験を、高速道路のサービスエリアのトイレで経験したことがありました。
オナラは故意にしようと思ってもできませんが、出てはいけない状況でしたくなったりします。そんなピンチを救う職業が、江戸時代にはあったみたいです。この職業は屁負比丘尼と呼ばれ、身分の高い女性に同行し、その高貴な女性がオナラをした際、「私がしました」と身代わりになります。比丘尼というのは、出家した女の僧・尼僧のことです。オナラの身代わりを生業にするというのは、何とも優雅(?)な職業ですね。
しかし冷静に考えれば、身代わりを用意しているということは、比丘尼が屁負いした(私ですと申し出た)時は、高貴な女性が”オナラをした”ことが確定します。周りが納得していれば問題ないのでしょうが・・・。音だけなら身代わりも可能でしょうが、臭いがある場合は・・・?。何とも、モヤモヤする話です。
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