昭和床屋物語 少年ジャンプとお小遣い
小学生の頃、二ヶ月に一回くらいの頻度で床屋に通っていました。もちろん今どきのオシャレな美容室ではなく、田舎の散髪屋さんです。そこには中年のオバチャン、若いオジチャン、若いオバチャンの3人の理容師さんがいて、いつもは若いオジチャンか中年のオバチャンに髪をカットしてもらっていました。
床屋に行く目的は髪を切ることですが、私にはもう一つの目的がありました。それは、待合室に置かれているマンガ週刊誌を読むことでした。当時のマンガ週刊誌のトップは少年マガジンで、『巨人の星』や『あしたのジョー』や『天才バカボン』などが連載されていました。現在購読者数がトップの少年ジャンプは新興の週間少年誌で、その当時は少年マガジンに発行部数でも人気でも負けていました。
しかし、私は少年ジャンプの方が好きで中でも永井豪先生の『ハレンチ学園』や、とりいかずよし先生の『トイレット博士』が好きでした。その他にも、巨人の星に対抗した野球マンガ『侍ジャイアンツ』もよく読んでいました。当時、おこづかいはそんなにもらっていませんし、マンガ週刊誌を買う余裕などありません。床屋の待ち時間に読むマンガが唯一のマンガの情報源でした。今でいえば、マンガ喫茶のような感覚です。
ところで、”待ち時間に読むマンガ”と書きましたが、実は散髪中にも読んでいました。オジチャンもオバアチャンも、私がマンガが好きなのを知っていたので、散髪中も読ませてくれました。早く散髪の順番が来た時などは、数冊のマンガを鏡の前に置いて、散髪が始まりました。
散髪が終わると会計です。当時は子供の散髪代は200円でした。当時は百円札が流通していて、母から百円札二枚を持たされて床屋に行っていました。この200円を渡すと、「ありがとう、これはお小遣いね」と言って20円が渡されました。散髪代はあくまで200円で、この20円はお釣りではありません。ですから、この20円は母に返却する必要はなく、自由に使えるのです。
このことは親も知っていて、20円を返せと言われたことはありませんでした。いまでもそのシステムが使われているかどうかは知りませんが、私が通っていた床屋さんではそうでした。お小遣いの20円は、”散髪中に静かにしていたお駄賃”と解釈しています。
いまは消費税があるので、こういった商売は難しいかもしれません。でも、税込み1,100円の散髪代を払った後に、100円がお小遣いとして貰えたら、子供はきっと喜ぶでしょう。どこかでやってないかなぁ。
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