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科学エッセイ分冊 考古学編

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考古学関連の記事をまとめました。
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#奄美大島

空想考古学・邪馬台国はココだ!#12 長寿の国・邪馬台国

 魏志倭人伝には、『インドネシア・ジャワ島説』でも書いた”南方”をイメージさせる記述が多く出ています。例えば次の部分です。『倭地温暖 冬夏食生菜 皆徒跣』   和訳は次のようになります。「倭地は温暖で、冬でも夏でも生野菜を食べている。みな裸足である」。現在、”標準的な邪馬台国論争”では、邪馬台国の位置は九州または畿内です。しかし、九州がいくら暖かいと言っても、”冬でも裸足”はかなり厳しいと思います。温暖化が叫ばれている昨今でも、冬場の裸足は無理ですから、今よりも寒かったと考

空想考古学・邪馬台国はココだ!#10 卑弥呼の正体に迫る (訂正あり)

 久しぶりに邪馬台国の記事を書いてみようと思います。邪馬台国の名前を聞いたことがない人は少ないと思いますが、一応説明しておきます。邪馬台国は、2世紀~3世紀に”日本のどこか”に存在したとされる国の名称です。邪馬台国は女王・卑弥呼が治めていた国家連合で、日本のどこかにその都があったことは、”魏志倭人伝”の短い記述から間接的にわかっています。空想考古学では、『邪馬台国・奄美大島説』を採用していますが、あくまでファンタジーな”空想考古学”ですので、お許しください。  ヒミコ様の名

空想考古学・邪馬台国はココだ!(番外編) 邪馬台国と前方後円墳

 今回は大胆に、前方後円墳の”謎の形状”に関するオリジナル新説を発表しちゃいます。前方後円墳の”鍵穴型”形状の理由には、諸説ありますが、邪馬台国とも関連する新説を思い付いたので紹介します。   前方後円墳は、円形の墳丘に方形の墳丘を付設した古墳を指します。上空から見た形状は、円形と方形を組み合わせた鍵穴形をしています。英語では前方後円墳のことも、”Keyhole-shaped mounded tomb”といいます。日本では、この形状が車(牛車)に見えることから車塚といわれた

空想考古学・邪馬台国はココだ!(番外編) 邪馬台国と淡路島

 今回は、魏志倭人伝から少し離れて、邪馬台国と古事記の関係について空想したいと思います。古事記はご存知のように、魏志倭人伝よりずっと後の歴史書ですので、直接の関係はありません。しかし大和王権が多少なりとも邪馬台国の影響を受けているなら、その痕跡が古事記の中に残っている可能性(?)があります。  古事記の最初の部分で有名なのが「国生み」の場面です。イザナギとイザナミの尊の二柱が協力して、”日本列島”を作ります。最初に作成に成功した島は「淡路島」です。日本で一番大きな島は本州で

空想考古学・邪馬台国はココだ!#7 南方系?

 邪馬台国の場所の同定では、距離や方位ばかりが議論されますが、邪馬台国(女王国)の風俗や習慣等も見落としてはならない重要なポイントです。  まずは、入れ墨の風習です。『男子無大小 皆黥面文身 ( 男子は大小の区別なく、みな顔や体に入墨をする)』の記述のように、魏志倭人伝には入れ墨のことが何ヶ所にも書かれています。これは当時の歴史家が中国とは異なる風習に注目していたためです。奄美大島では、明治政府に禁止される明治の初期まで、入れ墨の風習が残っていました。ただし、入れ墨をするの

空想考古学・邪馬台国はココだ!#6 方位と距離

 邪馬台国の位置を論じる場合に問題になるのが、方位と距離です。九州説では方位は問題ありませんが、距離が合わないために「距離を恣意的に胡麻化して」います。また畿内説では、距離は辻褄が合いますが、方位が合わないので「方位を恣意的に胡麻化して」います。どちらの説も、方位と距離に問題があり、魏志倭人伝の記述と合致させるのは不可能です。  しかし、私が考える邪馬台国・奄美大島説では、距離も方位もバッチリ合致します。前回の記事で、古代中国から見て海外にある邪馬台国への出発地は「釜山付近

空想考古学・邪馬台国はココだ!#3 総合的に考えると、ココしかありません!

ずいぶんと結論を先延ばしにしてきましたが、今回は結論をズバリ言ってしまいます。私の考える邪馬台国は、奄美大島です。この結論に達した経緯の概要を今回は紹介します。 これ以後に紹介する邪馬台国・奄美大島説は私のオリジナルですが、私以前に奄美大島説を唱えていた人がいます。それは、古代史家の小林惠子さんです。小林さんは著書『古代倭王の正体ー海を越えてきた覇者たちの興亡』(祥伝社)で、自説を展開しています。この中では、当時の東アジア情勢を考慮して、グローバルな視点で邪馬台国を奄美大島