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501XX生地を生み出してきたホワイトオーク工場の秘密は木の床!?

コーンデニム社のホワイトオーク工場。
操業を停めてから今年で6年。

果たしてホワイトオークとはどんな工場
だったのか。

まずは先日のおさらい
コーンデニム社の前身コーンミルズ社が
ホワイトオークに工場を建設したのは
1905年。
工場を建設した時、その傍らに
ホワイトオークがあったからこの名前に。
今から118年前の話ですね。
敷地はサッカー場で20面以上というんですから
相当の広さです。
当時は2500名以上が働き、工場には
学校や公共施設を兼ね備え、さながら村の様相を
呈していたそうです。

当時アメリカ最大のデニム生産工場であった
ホワイトオークは1915年、リーバイス社と
「ゴールデンハンドシェイク」と呼ばれる
半永久的にデニム生地を供給することを
約束します。

そして1940年代には名機と呼ばれる
「ドレイパーX3」シャトル織機が稼働を開始。

巨大な工場でデニム生地はアメリカ中に
届けられた。と言うわけです。

ところが1970年代頃までには
「ドレイパーX3」は既に時代遅れとなり
少しずつ革新織機に取って代わられるように。
もちろんホワイトオーク工場もまた例外ではなく
少しずつシャトル織機の存在感は薄れて
いくことに。

そしてリーバイス社1983年頃を最後に
シャトル織機でのデニム生地供給を廃止します。

当然ホワイトオーク工場もそれに合わせて
織機は新しいものに入れ替えられ
存続することになります。

1990年代に入ると、ファッションの多様化も
重なり、アメリカ国内のデニム生地の供給は最盛期に
比べ7割程度に落ち込み始めていたそうです。

それでもホワイトオークで織られたデニム生地は
相変わらず世界中の需要に応えていきます。

しかし1994年を境にアメリカ国内での
繊維生産は落ち込み始め、2003年には
アメリカ国内で消費される衣類のうち8割以上が
海外依存の原料に取って代わられることに。

2004年にはコーンミルズ社は破産し
コーンデニム社として再建されました。

しかし同じ時期までに、シャトル織機で織られた
デニム生地が日本発信で再評価されていきます。

これに日本のみならず名だたるバイヤーは
その起源でもあるコーンデニム社の
ホワイトオーク工場に、シャトル織機で
織られた生地の問い合わせが増えることに
なります。

2004年頃からホワイトオーク工場は
再び工場にそのままであった「ドレイパーX3」
40台を再稼働させもう一度
セルビッジデニム生地を生産開始。
今一度リーバイスビンテージクロージング他
世界のハイブランドや日本のドメスティック
ブランドにセルビッジデニム生地を供給
するようになりました。

しかしその生産量はホワイトオーク工場生産量の
うち1割にも満たない量でした。

晩年はコーンデニム社の工場の中でも
実験的なテキスタイルを試すための意味合いも
強かったホワイトオーク工場。
結局広大な土地と雇用維持するには莫大な
経費がかかりすぎ、その老朽化と合理化の
ため2017年に歴史を閉じることに
なるんです。

リーバイス501XXの黄金時代の生地といえば
もちろんホワイトオーク製ということに
なりますが、この生地には二つのポイントが
隠れています。

1.ホワイトオーク工場の床が木製であったこと。
2.ドレイパーX3は日本の織機と比べても大きく
 シャトルが往復するごとにとても揺れたと
 いうこと。
これに紡績技術が拙かったが故に出来上がった
スラブ(ムラ糸)の綿糸。

これが組み合わさって当時のなんとも言えない
味のあるジーンズは誕生していたんです。

今日はホワイトオーク工場の歴史について
少しだけ話してみました^_^

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