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今でも繊維業界を支える「シャトル織機」は「自分がなんとかせねば」の精神だった!

ジーンズといえば
シャトル織機。
このコラムでも何度か紹介させて
いただきました。

このシャトル織機。日本では今でも稼働して
います。
世界ではシャトルレス織機が主流の中
日本では古くから、生地の風合いを尊重する
土壌があるため、効率では劣るものの、
シャトル織機の需要は一定程度
保たれていました。

そしてこのシャトル織機の技術が今でも日本の
繊維業界の一部を支えているんです。

シャトル織機は遠州地方、今の浜松市周辺で
誕生しています。

元々この地域は浜松城を中心に栄えた城下町。
浜松城は出世城と言われ、徳川家康公以降、
26人の城主のうち、実に16名が幕府の中枢へと
出世していきました。
そのため、城主が頻繁に替わり、町民たちは
城主に頼らず、「自分でなんとかせねば」
という風土ができたそうです。
その風土から
浜松周辺は鍛冶町、大工町、伝馬町を中心として
発達。日本有数の技術集積地として江戸時代から
知られた街となるんです。

この地方は日本最大級の綿花産地。
織物の街としても江戸時代から有名でした。

自ずとこの地域は綿織物の織機の分野で革新を
促していきます。
今では有名なスズキやトヨタは正にこの分野から
世界が誇る自動車メーカーになったわけです。

豊田織機は豊田佐吉が23歳の若さで初めて発明
した木製人力織機。

これは機を織ると、
杼(シャトル)が左右に動くというもの。
それまで杼は手で左右に動かしていたので
それでも作業効率は飛躍的に上がりました。

そして1896年に日本で最初の動力織機を開発
1人で3台から4台を運転できたので作業効率は
それまでの20倍以上に伸びたそうです。

さらに1924年にはG型のシャトル織機が誕生。
1929年には世界のトップメーカー
イギリスプラット社に技術提供するという
快挙を達成し、日本のシャトル織機は名実
共に世界一に上り詰めました。

その後シャトルレス織機が普及する中
シャトル織機が織り出す生地の風合いは
このシャトルレス織機からは生み出せないため
日本ではシャトル織機が廃れることなく
残ります。

そしてその日本のシャトル織機とデニムは
ステュディオダルチザンによって出会う
わけです。

ダルチザンのデザイナーは
あの独特の色落ちはシャトル織機による
生地の風合いによって生み出すことを知り、
日本でデニム生地を織ることができる
シャトル織機を手に入れ、備後の地で稼働
させることに成功するんです。

こうして日本のシャトル織機はデニムという
新たな相棒を手に入れ、今も現役で
活躍している。
とこういうわけです。

そしてこの活躍しているシャトル織機の
最高峰は豊田織機の G3ということなんです。

G3はそれまでのシャトル織機よりより厚手の
生地を織ることができるように改良された
織機だったので、デニム生地を織るには最適
だったわけですね。

日本では生地の風合いを大事にするDNAが
あったからこそ、なくなることなく
シャトル織機は生き続け、こうして今でも
ヴィンテージの風合いを持ったジーンズが
世に出されているわけですから
日本人気質さまさまですね^_^

今日はシャトル織機とジーンズのつながりに
ついてでした^_^

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