悪魔との契約書
今回は悪魔との契約書が保管されているというお話です。
聖飢魔IIのアルバム THE END OF THE CENTURYのお話も楽しそうですが、またの機会に。
ルーダンの悪魔憑き
上のニヒルなオジサマ、この人物は悪魔との契約書を結んだといわれている、ユルバン・グランディエ神父です。
なんとその時の悪魔との契約書がフランス国立博物館に所蔵されているのです。それがこちら。
一見落書きのようなイラストも描かれていますが、6体の悪魔の署名といいます。
魔王ルキフェル、サタナス、ベールゼブブ、レヴィアタン、エミリ、アスタロト。聞いたことのあるような無いような名前ですが、どれが誰の署名かよくわかりませんねえ。
実は、この悪魔の契約は事実無根だとも言われています。悪魔が居ないからありえない、当然だ!という話ではありません。当時のヨーロッパでは神同様に悪魔はいるとされ、魔女裁判も行われていました。
仕組まれた悪魔との契約
ニヒルなグランディエ神父に対して、側に仕える修道女達はグランディエ神父に想いを寄せましたが報われませんでした。その一方で女性スキャンダルも多かったようです。報われなかった修道女と、女性に人気のあったグランディエ神父に嫉妬をした他の神父達による策略に嵌められて、神父が悪魔との契約を交わしたという騒ぎになったと語られています。
これだけを読むと昼ドラの愛憎劇のようなものが浮かびますね。実際にこの騒ぎをモチーフに映像化もされました。
騒ぎの始まり
事の始まりは1632年9月、フランス西部ルダンで起こりました。カトリックのウルスラ会修道女達が突如として次々に異変をおこし、人を罵ったり喚き散らしたりするようになったのです。
彼女達は悪魔に憑依されたとされ、連日のように悪魔祓いが行われました。修道女は痙攣したり服をまくりあげるなど、次第にその奇行はエスカレート。その悪魔祓いは民衆に公開されたため、悪魔祓いを面白がる見物人も日に日に増えていきました。ついには見物料をとるようにまでなりました。
修道女達は、その悪魔祓いの儀式で「グランディエ神父が悪魔との契約を交わして自分たちに悪魔を取り憑かせたのだ」と喚き散らしました。
凄惨な魔女裁判
1934年、グランディエ神父は魔女裁判にかけられることになりました。
裁判と言っても現代の裁判所で行われるようなものではなく、目を覆うような虐待を被告人へ与えて悪魔と契約したという自白を強要するという、現在では信じがたいものでした。
容疑をかけられたグランディエ神父は、眼球を潰され脚に杭を打ち込まれるなどのひどい拷問にかけられましたが、悪魔との契約は最後まで認めませんでした。
しかし裁判の最中、グランディエ神父が悪魔と契約した【悪魔との契約書】が証拠として見つかったことで疑いは決定的とされました。
ついに1934年8月にグランディエ神父は生きたまま火刑に処されてしまったのです。
グランディエ神父は「先に絶命させてから火刑にして欲しい」と懇願しましたが却下されました。
処刑の間際、グランディエ神父は処刑を行う神父に対して、「お前は30日以内に神を見るだろう」と告げました。火刑は当時、魔女とされた者には頻繁に行われた処刑方法でした。
その数日後、処刑を行った神父は「私が悪いのではない」と叫んで絶命しました。
他にも拷問をした者やグランディエ神父に悪の刻印が有ると証言した者など、裁判に関わった者が次々に亡くなりました。この不可解な連続死により、グランディエ神父と悪魔の契約騒ぎはますます有名となったのです。
一方、ウルスラ修道院では、グランディエ神父が処刑された後も修道女達によってショーまがいの公開悪魔祓いが行われました。ウルスラ修道院は有名となり、観光客を呼ぶとして1937年までの5年間ずっと続けられたのです。
悪魔に憑依された演技を繰り返し、偽の悪魔との契約書を書いたと噂されるジャンヌ・デ・ザンジュという修道女も元々はグランディエ神父に想いを寄せていたとみられています。
もしも本当に計画的にグランディエ神父を陥れたのであるならば、この事件で一番ゾッとするのはこの修道女の執念ですね。
この事件はこちらの「肉体の悪魔」という映画の題材ともなっています。
悪魔は処刑されない
当時は「魔女刈り」「魔女裁判」「宗教裁判」などなど、現代に於いては考えられないような政策や裁判、処刑が当たり前に行われていました。
集団ヒステリーやモラルパニックによりあちらこちらで「あいつは魔女だ」「悪魔の手先だ」と密告がなされたようです。終いには「猫を飼っているなんて魔女に決まっている」として囚われた女性もいました。
想像を絶する世の中です。中世ヨーロッパでの魔女刈りにより命を落としたのは3万5千人から10万人、一部では300万人とも言われています。
あのジャンヌ・ダルクでさえも魔女裁判にかけられ火刑にされてしまいました。
しかも彼女の場合は処刑されてから25年後にやっぱり魔女ではなかったと宣言され、混沌とした世の中はその後もしばらく続いたようです。
ジャンヌ・ダルクだけではなく誰も魔女では無かったでしょう。悪魔が居たとしたら処刑されていない方に潜んでいたにちがいありません。
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