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子どもの学びの意味を問い直す

あけましておめでとうございます。
正月早々、能登半島が大変なことになっていますね。

先週、ちょうど家族で七尾市に行っていたので、泊まったホテルの被災した画像などがSNS上に出回っており、他人事ではなく胸がしめつけられる想いです。

北陸方面の方々の安全と無事をお祈りしております。


前回の投稿から学びについて記していきます。

これまで『学校教育で身に付けるべき』とされてきた学力の内容の多くは、学びって言う視点で見ると、人間に本当に必要な力とは少し違うのかなぁと思います。

例えば、無理やり覚える古文・漢文や微分積分とかは今人生の役に立ってる人は多くはないですよね。

学びっていうのは学校で身に付けるものではなくて、一生、常に身の回りで起きてることにアンテナをはっている時間全て。

学校で身に付ける「学力」っていうものの多くは「子どもたち一人ひとりの個性的な人格形成を促すよりも、試験での点数を高めて、社会に出ていくときの自分の評価を高くしておくこと」が目標になっています。

名の通った学校に進学して大きな会社に入る。そのために偏差値を上げて、より高い地位を得るみたいなことが、学力形成の実際的な目標になっています。

そして、今その関門をクリアするために必要なのは記憶ですよね。段々変わってるみたいですが、まだまだ記憶力が大事です。その覚えてる記憶を積み重ねて回答をどんだけ早く出せるかが学力になっています。

そう考えると、新しいものを生み出す力じゃなくて、「元々あるものに早くたどり着くために勉強しよう」になっちゃう。

効率の良い教え方とか、学び方という手段については色んな書籍も出てますし、研究されてると思うんですけど、じゃあなんでそれを学ぶのかっていう根本的なところは分からなくて、親としては答えはもっておきたいところです。

21世紀は正解が見えない時代って言われてます。戦争とか環境破壊とかテロとか貧困とかコロナとか世界は次々に困難にぶつかってる。同時に、学校が楽しいとか面白いとかそう感じられない子どもの数も比例して増えてるみたいですね。いじめとか不登校とか。

目まぐるしく社会が変わっていますが、教育(幼児教育)が変わらなかったら、学校ってほんとに魅力がなくて、どんどん意味のない場所になっていくと思うので、そしたらそこが生活の大半をしめる子たちにとって、生きてる意味もよく分からなくなっていく。
それが今いろんな数値になって見えてきています。

繰り返しになりますが、本当に大切なのは正解を効率よく覚えて、短時間で再現できる力ではありません。これまでの正解も本当かなって問い直して、自分なりに考えること。自分なりの答えを導き出す力が必要なんです。

結論、学びとは何かって言うと・・・

正解がないもの。その、正解がないものについて思考し続けること

その姿勢を持てるようにするために
子どもたちと関わっていきたいと思います。

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