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【日記】寒いし外出たくない天皇誕生日:24/2/23

今朝起きたのが5時。最近、生活リズムが歪でめちゃくちゃ早い時間に眠くなってめちゃくちゃ早い時間に寝る。そして、めちゃくちゃ早い時間に起きる。今日も爺さん顔負けの時間に目を覚ました。

起きたとて布団から出るにはまだ身体が重い。したがって、布団にくるまれたまま、何かできることはないか?と探す。寝室には1枚敷布団が敷かれており、残りのスペースのほとんどを本が埋め尽くしている。枕元にあった本を何冊かペラペラとめくりながら、何を読もうか物色したが、今なお、頭に霞がかかっており、読むこともむずかしいようだ。

そんなときでもできるのが、こうして駄文を書き連ねること。最近では、Twitter(X)も課金すれば長文が書けるようになっていたり、長文投稿が可能なSNSも増えてきている。noteもそのひとつであり、編集のしやすさ・スマホ&PC双方のUIの扱いやすさから、わたしはこれを利用している。今朝も枕元にある本の山の頂点にやじろべえの如くかろうじて乗っかっているノートPCを手に取り、原稿用紙3枚程度の駄文を書いた。

頭の中で考えていることを抑圧しておくのは、わたしにとってかなり大きなストレスのようで、我慢せずに誰かに喋ってしまいたい、喋る相手がいないときはキーボードを叩いて文字に起こしてしまいたいようだ。その欲求そのままに文章ともいえない文章を書いた。内圧が高まっていない状態で書いた文章なので、書きたくて書きたくてどうしようもない状態で書かれた文章に比べるとどうしても密度が低い。だいたい30分くらいで書き上げた文章の出来には決して満足していないが、なんだか投げないことの方が悪いことのような気がしたので、とりあえずアップロード。

文章を書いたあとは、十中八九アタマが興奮している。したがって、すぐに眠りに就くことはできない。交感神経が活発になっているというやつだ。活発になり過ぎた交感神経を鎮めるために精神安定剤を服用した。睡眠時にも飲むやつ。5時半ごろに文章を投稿して、そこから安定剤を飲んで、スマートフォンを開いて、YouTubeでお気に入りのASMR動画を聴きながら、再び布団にくるまり、副交感神経が優位になるのを待つ。副交感神経が優位になるまで約3時間を要した。

9時ごろに眠りに就くと、日中の睡眠はどうも夜間の睡眠と比べて効率が悪いのかしら、気持ちよく起床するまでに長い睡眠時間を必要とする。昨晩は23時に寝て翌朝5時に目が覚め、そのあと文章を書いて再び眠りに就いたのが9時ごろ。で、目が覚めたのは15時半であった。その間約6時間半。前半の睡眠(6時間)と足すと12時間半寝ていることになる。1日は24時間しかないから、その半分以上を寝て過ごしていることになる。いやはや、休日とはいえ、これはまずいのではないか?わたしは学生のころに連続で30時間眠るという当時の世界記録(?)を樹立したくらいには稀代の寝坊助であるが、それは学生であったから赦されたことであって、成人したいま赦されることではないだろう。

誰の取り決めかはわからぬが、大人になったら相当時間、何か生産的な活動に従事しなければならない。第一、(少し調べてみると)寝すぎることは身体にもよくないらしい。10時間以上の睡眠は、死亡率がうんたらパーセント上昇するらしいし、アルツハイマー病のリスクも上昇するらしい。それは果たして、寝すぎるから死にやすくなるのか?死にやすいような体調だから寝すぎてしまうのか?どちらなんだろう?という疑問は生じてしまったものの、身体によくないことはどうやらたしからしい。何某かの生産的活動に従事せず、しかも身体にも悪いことをしている(これによって将来の医療費の増大にも貢献してしまうかもしれない)。そして、いまやっていることはといえば、呑気に今日の日記を書いている。今日のわたしみたいな生活をしていると、つい「穀つぶし」なんつうドギツイワードが思い浮かんでくる。意味を調べると、

ごく潰し ろくに働きもせずに放蕩しながら、飯だけは一丁前に食っていたずらに食い潰すような者を罵っていう語。 稼ぎのない不甲斐ない者を罵倒する場合などにも用いられる。

Weblio国語辞典

と出てくる。中々、ひどい仕打ちではないか。

ろくに働きもせず放蕩しながら←ただしい。
飯だけは一丁前に食っていたずらに食い潰す←だいたいただしいが、「飯は一丁前”以上”に食うておるぞ、お前。」というご指摘を母から頂いた。

精神疾患を患ってろくに働くこともできず、こうしてベラだけは回る、世間様からすれば、もっとも腹立たしいであろう存在のわたし自身を罵倒するようなことばを〈自主的に〉ネットの何処かから拾ってきては、意味を調べ、傷つく。今日も何処かで「重度の精神疾患」ということばが侮蔑語として使われているのを目にした。ネットには自分がそうでないからといって、何を言っても許されると考える人が相当数いる(ことが可視化されている)。自分が疎まれ、蔑まれる属性でなくとも(そして、今後そうなる可能性がなくとも)、そのような属性の人々の立場を想像し、尊重できるような人が立派な人であるといえよう。わたしみたいな人間は罵倒されて当然であるという気持ちと同時に、人間としての尊厳くらい守らせてもらいたいと思う天皇誕生日の夕方であった。

了.

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