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【仮説#2】本が読めなくなっちゃいました……

素人なりの分析。前にも似たような話をした。https://note.com/am300/n/n089af1c471df

このときは

◇書かれた文章(文字列)には、
①図像イメージを言語に変換したモノ
②言語イメージを言語に変換したモノ
の2種類あること
◇読み解くときには、
①言語を図像イメージに変換して読む人
②言語を言語イメージに変換して読む人
の2種類がいること

◇予想(仮説)
文章のタイプと読解のタイプが一致しているとき、読解がスムーズにいく

という非常に雑な仮説を立てていた。今回は別角度からの(もう少し現実的な)仮説になる。


──最初に

私はもう長いこと文章を読めない(正確には読むのに途徹もない時間がかかる)状況が続いている。心身の調子を崩したころからあきらかに文字の意味がアタマに入りにくくなったので、だいたい5年くらいは「読む」という形でのインプットに著しい困難を抱えている。

その間、当然医師にも相談し、いくつかアドバイスはもらって実行してみたが、今のところ効果は見られない。当初は病による一過性の認知機能の低下と考えていたのだが、さすがに5年も続くと、これはなんとかしないとヤバイな…という焦りが生まれてくる。

そういうわけで、医師の指導を受動的に待っているだけでは「文字が読めない問題」は一向に解決しないと思ったので、自分で仮説を立てて、それを1個ずつ検証していくことにした。

──仮説の提示

仮説はいくつかある。パッと思いつくだけで以下の5つ。

①    ある行を読んでいるときに他の行や図表などが目に入り、その行に集中できていないから
②    文章をデカいカタマリで捉えられていない。一文字ずつ~一単語ずつに分解されて見えているから
③    単純に目を動かす速度が遅いから
④    次の内容を予測して読めていないから
⑤    それぞれの単語の意味は理解しているが、文章の中に組み込まれると意味が見えにくくなるから(文字が意味に変換できていないから)

以下、1つずつ私の見解を述べていこうと思う。

【仮説①】ある行を読んでいるときに他の行や図表などが目に入り、その行に集中できていないから

①から順に解説していく。
まず、私の場合、紙(アナログ)とスマホやPC(デジタル)で文章のアタマに入りやすさが変わる。紙が最も入りにくく、その次にPC、最もスムーズに読めるのがスマホである。
ここで、①の仮説が生まれた。

ある行を読んでいるときに、他の行や周囲の景色等が目に入ってきて、情報が混ざって、統合できなくなっているのだ。

媒体による読みやすさの順(紙<PC<スマホ)から推測すると、視野に入りうる文字数(情報量)が多いほど、このエラーは起こりやすい。
たとえば、PCだと読みにくい文章がスマホだとある程度読めるという現象が起こるのだが、これは画面の大きさがスマホ<PCであるため、1画面に入る文字数(情報量)がスマホの方が少ないから(PCの方が読みにくい)と分析している。

だから、「文章を読めない問題」を解決するためには、視野に入りうる文字数をできるだけ減らせばよいという結論になる。紙(アナログ)とPC(デジタル)で読みやすさに差が出ているのは、反射光を読む(アナログ)のか直接光を読む(デジタル)のか等、別の要素も関わってくると思うので、とりあえずここでは、視野の中に入る情報量を減らすというところに着眼して問題解決を図る。

具体的には、本を読むときには何も書いていない白紙を読む行以外のところに重ねて隠してしまう(読む行だけを見えるようにする)とか、リードガイドみたいな色付きの定規(以下リンク)を使って色の付いたところだけを読むなどすればよいと思われる。

https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/B0BD6NNJMH?psc=1&ref=ppx_pop_mob_b_asin_title

リードガイド(色付き定規)

「気が散る」という現象は言い換えると「不必要な情報まで脳に取り込んで情報が錯綜して統合できてない」ということなので、ここを解消してやればよいはずである。

※英語などの外国語の文章を読んでいるときは、日本語の文章ほど意味が入ってこない現象は生じにくいという体感がある。これは、外国語の場合、目で捉えた文字を即座に意味と紐付けることができないため、情報の交錯・輻輳が起こりにくいからではないか、と推測している。ある行を読んでいるときに日本語なら、他の行が視野に入ってきたときにそれを意味のある言葉として認識するが、外国語では意味のない記号として映るため、ノイズになりにくいということである。

【仮説②】文章をデカいカタマリで捉えられていない。一文字ずつ~一単語ずつに分解されて見えているから

②、③は「単に文章が読めない」だけというよりも「文章を速く読むにはどうすればよいか?」という話に繋がってくる。

順番としては、1. 文章をカタマリで捉える(単語とか文字単位より大きく)→2. そのカタマリを大きくする→3. 物理的に目を動かす速度を上げる
となる。

中学校や高校の英語の授業で言われた「文章を単語じゃなくてカタマリで捉えろ」のまんまである。そのまんま同じことを日本語でやればいい。
一度に見える(捉えられる)カタマリのデカさは、語彙の豊富さ(単語・熟語・言い回しをどれだけ知っているか)にかなり依存するので、単語やフレーズをたくさんストックするという当たり前の話。

あとは、これも外国語と共通する話で、文構造(英語で言うSVO etc.)を取れてしまえば、カタマリが浮き上がって見えてくる。たとえば、一文を読んでいるときに、「この動詞は修飾語なのかそれとも文の中心となる動詞なのか?」瞬時に区別がつくようになれば、文章を読むスピードは劇的に速くなる。これは、文法に対する理解が問われると考えていて、文章を精読してしっかり文構造をとるという練習が意外と有効かもしれない。(筆者の英語学習の経験より)

【仮説③】単純に目を動かす速度が遅いから

目を動かす速度……いったいどうやって上げたら良いんだろう?これに関しては、具体的なトレーニング方法が未だに思い浮かばないです(正直)。ただ眼筋を鍛えれば良いというものでもないだろうし。
ひとつ言えるのは目を動かすのが速いから速く読めるというよりも、理解するのが速いから速く読める、つまり「文字が視野に入った瞬間に意味に結び付けられる」ようなトレーニングが必要だということを意味していると思う。そこには当然、語彙の豊富さは大きく関わってくるので、やはり言葉のストックはだいじという結論。(当たり前)

目を速く動かすという観点からいうと、「読んでいる箇所からどれだけ先を見れるか(より先を見ること)」というのが読む速度を決定する大きな要素のひとつである。今読んでいる行よりも1行先までしか見えてない人よりも、5行先まで見えている人の方が読む速度を高められるのは自明である。

しかし、これは①とは矛盾する。①は「視野に入る文字数を減らせ」、②、③は「視野に入る文字数を増やせ(先の文字まで視野に入れろ)」と言っているからである。
①は「未だ読むことすら危ういです……」という人がやるべきことであって、②や③は「すでにある程度読むことはできるのでその速度を上げたい」という人がやればよいことなので、文章を読む(理解する)のに、必要なステップであるのは同じだが、フェーズが異なる。①にあたる人(私含む)がまずやるべきは、「視野に入りうる文字数を減らすこと」である。要は、段階を踏んでやっていこうということ。

※書いていてあとで気づいたが、①と②&③は別に矛盾していない。なぜならば、文章を読んでいるときに見えているチャンク(カタマリ)の大きさが①<②&③であるからだ。脳の情報処理の過程では認識された情報(ここでは文字)が短期記憶に格納される。そのとき、格納できるチャンクの数は(人にもよるが)7±2 個と言われている(「ジョージ・ミラー」で検索してください)。なにが言いたいかというと、②&③は①よりも視野にたくさんの文字を入れているが、1チャンクのサイズが大きいため、短期記憶に格納されるチャンク数としては、①と変わらず7±2 個である。細かいカタマリが7±2 個並んでいるのと、大きなカタマリが7±2 個並んでいるだけのちがいで、チャンクの個数にちがいはないからである。

【仮説④】次の内容を予測して読めていないから

これは一見、③に近いのだが③は「目の物理的な射程範囲を広げろ」と言っているのに対して、④は「脳の射程範囲を広げろ」と言っている。文脈などを読み取るのも勿論大事だが、そこまで行かなくとも機能語(助詞・代名詞・接続詞・助動詞)から、次に来るであろう内容をある程度予想して読む(アタリをつける)ことができれば、文は次第とカタマリとして認識できる。たとえば、逆接の接続詞なんかで、「Aくんは○○(ポジティブ要素)だが、……」と来たら、……に続く内容はネガティブ要素であると簡単に推測が立つ。こういう原則を意識して読めれば、いい意味で文章をザックリと理解することが可能になる。詳細把握モードから概要把握モードにアタマが切り替わる。そうすると、文章がカタマリ(チャンク)で見えてきて、速く読めるのでは?という寸法。

【仮説⑤】それぞれの単語の意味は理解しているが、文章の中に組み込まれると意味が見えにくくなるから(文字が意味に変換できていないから)

これは、私自身の感覚でよく起こることなのだが、単語としては意味を理解している言葉であっても、文の中に並べられると途端に意味が取れなくなるということがある。この対策を考える。これについては私の主治医がこう提案してくれた。

「音読してみたら?」

音読して文字(視覚)と音(聴覚)を結びつける。そのあと音と意味を結びつける。形と音を紐づけて、音と意味を紐づける。回りくどいが、これで形と意味が結びつく。だから、音読するときに、①文字の形を見ながら声に出して自分の声を聴くことに集中する(<形ー音>をつくる)、②音読した声を聴きながら言葉の意味を思い浮かべることに集中する(<音ー意味>をつくる)の二段階で<形ー音ー意味>の結合をつくる。最初はゆっくり読み上げて結合をつくることに集中する。この結合ができたら、それを速く引き出せるように反復する。そうすることで、さまざまなパターンの<形ー音ー意味>結合がストックされ、いろんなパターンの文章が読めるようになる、そういう仕組みだ。

──最後に

これから「読めない」原因分析を進めつつ、上記の5つのアプローチで「読めない」現象からの脱却を図っていく。

5つともかなりの時間を要すると予想されるけれども、1つ1つのアプローチを着実にこなしていってどれかあたればなあ……と思っている。やはり、文章を読めない(読めるが異常に時間がかかる)というのは、大変苦しくてもどかしい思いがするし、私は(特に文章で)アウトプットするのが向いている(?)らしいので、そのアウトプットを継続的にやるためにもインプットの能力はどうしても回復させたい。あとは、未だ為せてない社会復帰もこの問題を乗り越えられれば、かなり近づくと思われるので、絶対に回復させるぞ、という感じだ。と言っている今日も政治・経済の用語集を2時間くらいかけてたったの2ページ読んだ。遅々としている。まずはここから。


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