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【未来に残したい愛知の祭り】 棒の手(渋川神社)

渋川神社のある尾張旭市は棒の手が盛んな地域で、市内には五つの流派があります。そのうち三流派( 直心我流・東軍流・直師夢想東軍流)が演武を奉納する渋川神社の秋祭りは盛大なもので、真剣を使った演武には息を呑む迫力があります。
棒の手の歴史は諸説ありますが、戦国時代に始まったとされる説が多いです。一揆が警戒されていた戦国から江戸時代に、農民による軍事演習のような祭りが盛んに行われていたのは驚くべきことですが、徳川家の西国に対する防衛策の一つという面もあったのかなと想像します。

祭の日、境内には棒の手の装束を纏った沢山の人が次々と日頃から鍛錬を重ねた武芸を披露します。子どもたちの演技はもちろん模造刀ですが、大人の熟練者は真剣で演舞を行います。真剣の演舞はまさに手に汗を握るもので、緊張感がみなぎります。時間はわずかでも真剣を使う緊張感から演武が終わると疲労困憊になると聞いたことがあります。

とくに凄いのは纏った装束を紙一重のところで貫く槍の演武です。大きな声が響き次の瞬間、槍が貫いています。

警固祭とも呼ばれ、飾り馬の馬の塔や火縄銃の演武などとセットで行われることが多いです。現在は、名古屋市東部、長久手、尾張旭、瀬戸、豊田、といったエリアで10月の祭の季節にはよく見ることが出来ます。
棒の手はかつて、尾張と三河の両国、現在の愛知で広く行われておりました。おまんと同様に、熱田神宮や猿投神社などのおおきな神社では、合宿が行われ、今でもそれらの神社の例祭では棒の手の奉納が行われています。
演武は実際に起こる農民同士のトラブルを型にしている事が多く、すれ違いざまの喧嘩が型になっていたりして、一般的な武道とはだいぶ様子が異なり、ユニークなものです。
農民が武装するわけですから、一揆を恐れられてた時代とは思えないのですが、尾張、三河の両国が徳川譜代の国であり、火薬を使った花火同様にこの地域の祭礼は特別に許されていたことが多かったのだろうと思います。


現在、制作中の愛知の祭り写真集は2023年5月の出版を予定しています。そして10月下旬から、この写真集を全小中学校に寄付するクラウドファンディングを企画しております。こちらのFBページで進捗を随時発信します。

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