【禍話リライト】 彼氏の安アパート

 言わずもがな、という感じですが。家賃が他と比べて異様に安い物件には注意してください。

 そんな物件に住む場合だけではなくて、招かれる場合でも。「おいでよ」なんて言われても気軽に行かない方がいい。そんな話があるんです。

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 当時大学一年生のAさん。試しに入ってみたサークルで、生まれて初めて彼氏ができたそうなんです。

 Aさんはいわゆる箱入り娘で。初めての一人暮らしも、セキュリティのガッチリとした学生用の立派なマンション。何もかも行き届いている。でもそんな恵まれた環境に甘えることなく、彼女は真面目。きっちりとした生活スタイルが習慣付いている、そんな人でね。

 一方の彼氏、Bくんとしておきましょうか。

 Bくんは大雑把な人でして。はっきり言えばずぼら。要するに、Aさんとは真逆なタイプだったんですね。

 逆にそこがAさんにとって新鮮で刺激的で魅力的に感じたんでしょうか。まあそれはさておき。

 問題なのはBくんの借りているアパート。そこ、めちゃくちゃボロボロだったそうなんです。木造二階建てのやつで、ずっと昔から学生向けの賃貸だったらしいんですけどね。

 地震や台風のたびに近隣の住民からアパートの倒壊を心配されるくらい、オンボロ具合が激しかったんですって。

 ある日のこと、Aさんはそんなアパートに誘われたそうです。Bくんから「ウチくる?」と。

 Aさん、二重の意味でドキドキです。もちろん一つはお付き合いしている方の家にお邪魔するというドキドキ。

 もう一つはワクワクとでも言うんですかね。

 彼が住んでいるアパートはとんでもなくボロいと事あるごとに聞かされていたので、一体どれほどのオンボロアパートなのだろう、と彼女の好奇心はずっとうずいていたのだそうです。

 それでまあ、お泊りはしないけど軽くお邪魔する感じで講義後に向かったそうなんですね。

「ここだよ、ここ」

 もうね。外観からザ・昭和な趣だったんですって。夕焼け空、烏の群れがよく似合う。アパートの入り口は引き戸。建物全体が経年劣化で歪んでいたのでしょうか。建付けが悪く引き戸を開けるにはコツがいったそうです。

 Bくんが力を込めてガッガッと動かすのを背後から見ていて、今時こんな所あるんだ! とAさんはこっそりテンションも上がって。

 そして玄関から入った先もすごかった。

 そのアパート、共用の玄関で靴を脱いで上がるようになっていて、そこに各部屋の郵便受けもあるんですね。汚い郵便受けが。

 その郵便受け。アパートの住人たちは全然見てない感じで。広告やら何やらがぎっしり溜まっているんですって。そういうの気になる彼女からすると信じられない気持ち。もう、全く異なる価値観が広がっているわけです。

「俺の部屋、二階だから」

 と、Bくん。玄関脇の階段を上がるんですけど、それもまた急な角度のもので。ほとんど直角じゃない? みたいな感じだったそうです。手すりもないからご老人や身体の弱い人は危ないな、というくらいの。

 その階段、上っていると一段一段、ぎしぎしときしむわけですね。

 まあ階段だけじゃなかったそうですけど。一階の床も二階の床も、床板は全面うぐいす張りとでも言わんばかりにきしんだそうで。波を打っているんじゃないか、というくらいに床が歪んでいる。

 ここ、本当に大丈夫なの? いきなり崩れたりしないよね? と、Aさんは段々心配になってきた。床板を踏む足も恐る恐るで。

 アパートの構造は、建物の中央を廊下が通っていてその左右に各部屋がある造りでね。狭い廊下を歩くと左右の部屋からのテレビの音も、かなりはっきりと聞こえてきたのだそうです。

 さてそれで。二階の床板をきしませつつ彼氏の部屋までたどり着いた。

 部屋の中に入るとさすがに他の部屋のテレビの音はぼんやりとしか聞こえなくなったそうですが、それでも壁が薄い上に隙間でもあるのか、音も風も侵入してくる感じ。

 Aさん、初めての彼氏の部屋をキョロキョロと観察しつつも、泊まる用意とかしてこなくてよかったー、なんて内心思ったりして。

「ここ、すごいねー。学生だけなんだ?」

「そうそう。男ばっか。でも大学が近くな割に家賃がゲロ安だからさ、結構人気なんだよ」

「へえ?」

「二万ちょい。二年目からは更に安くなって、一万円台になる予定」

 得意気にBくんは言ったそうです。なんでも、家賃の安さに惹かれて入っても、すぐに出ていっちゃう人もいるそうで。少しでも部屋を埋めておこうと長くいればよりお得になるようにしているのだそうですね。

「はぁー……わたしだったら秒で耐えられないかも」

「住めば都っていうのかな。案外慣れるもんだよ」

 そうやって二人でグダグダと過ごしていたところ。

 ガラガラガラガラ

 玄関の引き戸がきれいに開く音が下から聞こえてきたそうです。

「あれっ……? 上手に開けるなあ」

「何かコツ、あるのかもね」

 それでその玄関を開けた人物、階段をぎしぎし言わせて上がってきているんですけど、

 ヒィー……ヒィー……

 気管支が悪い人なのか、苦しそうに呼吸をしながら上ってくるんです。

 二階に上がってきても、

 ヒィー……

 と、苦しそうにぎしぎしと廊下を歩いてきてね。やがてBくんの部屋の向かいの部屋に入っていった。それにBくんが驚きまして。

「え、向かいの人、昨日は普通にしていたのに。何かあったのかな」

「病気とか?」

「いやでも、一日でああなるかなあ。めっちゃ苦しそうだったけど。やばい病気じゃないといいな」

 若干センシティブな話題ですから。二人は向かいに聞こえないよう小声で話していたそうですね。そのおかげか向かいの部屋でテレビが点いたことに気がついたそうで。

 テレビを見ることができるくらいの体力があるなら、あまり心配することでもないかな、と。また二人でどうでもいいことで駄弁っていたそうです。

 それからしばらくすると、

 ガラガラガラガラ

 また、玄関の引き戸が何の引っ掛かりもなくスムーズに開けられた。

「えー、またあ?」

 Bくんはものすごく怪訝な顔をしている。

 というのも。まだ住みだして数ヶ月とはいえ、これまで住んでいてあんなにきれいに引き戸が開く音なんて聞いたことがなかったそうなんです。

「さっきBが力込めてやって、それで何か上手い具合に動くようになったんじゃない?」

「そうかなあ?」

 その人物も二階へ上ってくるんですね。今度は足取り軽やかで、

 トン、トン、トン

 と、上ってきているんですけど、また呼吸器が悪い人のようで。

 ヒィー、ヒィー、ヒィー

 肺やら何やら弱まっている人が無理矢理走ったせいで余計に苦しくなってしまった、そんな調子で。でも廊下もトトト、と早足で歩いているんです。

 しかもその人。またBくんの向かいの部屋に入っていったんです。

 その部屋の住人の友だちだか何だか知らないけれど、二人して呼吸器を患っていることなんてある? と二人して顔を見合わせましてね。

 そのアパート、各部屋のドアにドアスコープなんて物はついていなくて。代わりにというか、ちょうど顔の高さくらいの位置に三十センチ四方の窓がついているんですね。

 それでどの部屋も外から覗かれないように内側からカーテンがかけられているんですけど、見えないだけで音はもちろん光も漏れる。

 ちょっと向かいの部屋の様子が気になったAさんは、Bくんの部屋の入り口のカーテンをよけて、窓越しに向かいの部屋を窺ってみたんですって。

 するとね。向かいの部屋、真っ暗みたいなんですよ。電灯が点いてない。しかもAさんが窓から覗いたくらいのタイミングで、向こうから聞こえていたテレビの音も聞こえなくなった。

 あれー?

 彼女は首をかしげながらカーテンを戻し、居間の方へと戻った。すると、テレビの音が再開したそうです。

「え、何で?」

 ぎょっとして、Aさんは思わず部屋の入り口を見やった。なんだか、自分たちの一挙手一投足が監視されているような感じ。怯えだしたAさんの一方で、Bくんは玄関がきれいに開いたことが不思議で仕方ないみたいで。

「変だなあ。絶対おかしいよなあ」

 と、そう言っているわけです。しまいにはちょっと確認しに行こうと言い出して。二人して階段を下りて玄関へ向かったそうです。

 ところがですね。その引き戸、やっぱりスムーズには開かないんですよ。

 Bくんがどんなにやっても、

 ガ、ガ、ガガッ

 と、なんとかずり動かす感じで。

「おっかしいなあ」

 しきりに首をひねっているBくん、更に奇妙なことに気がついた。

 共用の玄関、靴は広い三和土にそれぞれ脱いだまま置いてあるんですけど、Bくんたちが帰ってきてから変わっていないようだったんですって。

 つまり、向かいの部屋に入っていった、計二人分の靴が増えてない。

「えーっ? どういうことだろう」

 Aさん的には何だか気持ち悪いし、そんなのどうだっていいから、外に出て遊びに行こうよ、な気分なんです。でもBくんはずっと、

「おかしいなあ、おかしいなあ」

 と言っていたそうで。二人でBくんの部屋に戻ってからもずっと、

「おかしいよなあ」

 と唸っている。部屋から出る時も戻ってきた時もちらっと確認してみたそうですけど、やっぱり向かいの部屋、真っ暗なんですよ。

「部屋の電気、消えてるもんなあ。二人で部屋を暗くしてテレビを見ることってある? 気持ち悪いよなあ」

 独りでぶつぶつ言っているんです。

「あ、映画とかかな? それならあるんじゃね?」

 それでAさんの方を見てね。口に指を当ててシーッと。静かにして、と促すわけです。

 それで、二人で耳をすませてみたそうですね。

 例えばなんですけど。ケーブルテレビとかで地元の風景を延々と流しているチャンネルってあるじゃないですか。天気予報とかと一緒に。そういったチャンネルのBGMらしき音楽が流れていたんですって。

 間違っても映画とかドラマとかではない。ましてやバラエティのように賑やかな番組でもない。

 ただ、淡々と穏やかなBGMが鳴っている。

「うわっ、気持ち悪」

 我慢の限界。思わずAさんは口走っちゃったそうです。

「……うーん、俺ちょっと行ってくるわ」

「え? なんで?」

「いやだって気になるし」

 Bくんね。肝試し気分なのか何なのか、向かいの部屋へ行くって突然言い出して。

 立ち上がると、本当に行っちゃったんです。

 こちらの部屋のドアをバタンと閉めまして。仕方ないからAさん、耳だけ注意を廊下の方に向けていて。Bくんは向かいの部屋をノックしている。

「すいません、Bですけどー」

 シンとして反応がないみたいなんです。Aさんとしては彼に早く戻ってきてほしいな、と思っているんですけどね。Bくんは向かいの部屋へ乗り込んだんです。

「すいません、入りますよー」

 ドアも歪んでいるんでしょうね。ギィィと唸り開く気配がして。Aさんが耳をそばだてていると、途端にBくんの素っ頓狂な声がした。

「……あれー!? えっ? どゆこと?」

 間を置かずに、「え?」とか「は?」とかBくんは疑問符をしきりに発しつつ怪訝な顔つきで自室へ戻ってきたんですって。

「何かあったの?」

「いやそれがさあ……部屋の中、誰もいないんだわ」

「え? なんで? テレビの音、してたよね?」

 「いや、わっかんない」そう言って怪訝な顔のまま、Bくんは首をかしげているんですね。Aさんの方を見ずに、自問自答する感じで。

「テレビは、あった……アナログのやつ。でも……」

「ブラウン管テレビ?」

「古いやつだったな。でも、電源が切れていたんだよ」

「音、絶対聞こえたよね」

「うん、音は聞こえていたのに。変だよなあ」

 それっきりBくん、腕を組んで下を向いて考え込んじゃって。

「訳わからないよなあ」「何なんだろうなあ」「おかしいよなあ」

 そばにAさんがいることを忘れたんじゃないかと思うくらい、ずっとぶつぶつ独りで言っていたんですって。

 今日はサークル仲間のとこに行ってみんなで飲もうよ、なんてAさんが言っても、まるで応じてくれない。

「おかしいよなあ? 二人ともヒィヒィ喉鳴らして上がってきたのに、どこ行ったんだろう……。Aも聞いたよな? 一緒に聞いたもんな? 絶対、部屋にいるはずなんだよ。二人の人間が。いなきゃおかしいだろ」

「もう、いいじゃん。ね、とりあえずここ出てどこか行こうよ」

「いやでも、おかしいじゃん。苦しそうに呼吸をしていたのにさあ……」

 もういい加減にしてよ! と、怒気を混じえてAさんが言い掛けた時です。

 突然、Bくんの部屋のドアが音を立てて開いたんです。廊下を誰かが歩いてくる音なんてしていなかったのに。

 え? 何?

 Aさんが振り向くと。

 部屋の入り口に、Bくんが立っていたんですって。

 Aさんの横で「おかしいなあ。おかしいよなあ」と唸っているBくんと全く同じ服装をしているBくんが。

 Aさんが唖然として二人のBくんを交互に見ていると、横のBくんもおもむろに顔を上げて部屋の入り口に立っているBくんを見つめたそうです。

「あ」

 見つめ合った二人のBくんが同時に呟いた。

 すると、部屋の入り口に立っていたBくんがゆらりと壁に腕を伸ばして、部屋の明かりのスイッチを切ってしまったんです。

 瞬間、部屋の中は真っ暗闇。

「は!? ちょ、ちょ、なんで!?」

 Aさんがパニックに陥って、見えなくなった二人のBくんに叫んでると。

 ヒィー……ヒィー……

 二人のBくんが同時に喉を鳴らして呼吸をしだした。苦しそうに、かすれた息を吐き出し始めたんですって。

 Aさん、絶叫して。Bくんを突き飛ばすと、部屋から飛び出して廊下を駆け抜け、半ば落ちるように階段をダダダと降りまして。靴も履かずに玄関の引き戸に手をかけた。

 ところがこれが開かなかったそうで。男のBくんが力を込めてやっと動く引き戸。Aさん、なかなか動かせなかったそうです。きっとパニックに陥っていたせいもあったのでしょうね。

 Aさんが半泣きになりながらもなんとか引き戸を動かそうとしていると、二階の方から

 ぎっ……ぎっ……

 廊下をゆっくりきしませて歩く音がして。

 早く開いて、早く開いてよ!

 Aさんが引き戸をガタガタやっている間も絶え間なく、

 ぎっ……ぎっ……

 と聞こえていたんです。でもとうとう、廊下を歩く音が止まったそうで。

 思わず彼女が振り返ったら、階段の一番上、そこにBくんたちが並んで立っていて。

 ヒィー……ヒィー……

 息絶え絶えに呼吸をしていたそうです。暗い階段の上に、二人のBくんのシルエットがAさんを見下ろしていて。

 絶叫と共にようやくAさんの火事場の馬鹿力が出てくれたらしく。横向きになって通れるくらいの幅を確保できた。

 もうあとは無我夢中で。身体をその隙間に通すと、靴なんか置いて行っちゃって、近くのコンビニまで全力疾走したそうです。

 さてそれで。

 一呼吸つけて、合気道というか護身術というか、そういう方面で頼りになる女性の友だちに助けを求めたそうです。

 斯々然々、こういうことがあって……とAさんが相談すると、その方は、よーしわかった!と快諾して、知り合いを数人引き連れてやって来た。

 相談された方は、BがAさんを驚かすために他の住人と協力して悪ふざけをしたんじゃないか、と。そう指摘したそうです。

 ちょっと懲らしめてやろうと。それでBくんのいるボロアパートに数名で戻ったそうなんですが。

 Bくん、いないんですよ。Aさんの靴は玄関に置きっぱなしだったそうなんですけど、Bくんの靴はない。

 一応、みんなでBくんの部屋を確認しに行っても、やっぱりいない。

 あれほどAさんが叫んで騒がしく廊下を駆けてアパートを飛び出し、仲間を引き連れて戻ってきたのにね。他の住人は誰も様子を見に部屋から顔を出さなかったんですって。


 次の日のこと。Bくんは普通にサークルに顔を出したそうです。Aさんから話を聞いていたサークルメンバーが「お前さあ……」と詰め寄ってもケロっとしている。

「Aさんと? いや、俺、昨日は普通に一人で部屋に帰ったけど?」

 ドッキリをしているとか、悪ふざけをしているとか、そういう感じなんか全然なくて、平然としている。あらぬ疑いをかけられたら、不安になったり何だったら怒りだしたりするのが人ってものじゃないですか。

 Bくんね。ずっと感情が平坦なんですって。

「向かいの人? 知らないなあ。その人が、何?」

 それでAさんのみならず、サークルメンバーも全員、Bくんがそら恐ろしくなってきて。

「あー……そう、そうなんだ……じゃあ、もういいわ……」

 彼を深く問い詰めるのは諦めて、段々と距離を取るようになったんです。しまいには疎遠になって、みんな彼と関係が切れたんですって。

 でもそれからもずっと、Bくんはそこの住人であり続けたんじゃないか──そんな古ぼけたアパートがあるのだそうです。




この記事は禍話で語られた怪談を元に作成されました。
文章化に際して元の怪談に脚色をしております。何卒ご容赦ください。

出典: 燈魂百物語 第二夜
URL: https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/340721012
収録: 2017/01/21
時間: 00:14:05 - 00:25:35

記事タイトルは 禍話 簡易まとめWiki ( https://wikiwiki.jp/magabanasi/ ) より拝借しました。