【禍話リライト】 右からか左からか

 痛みというのは他者と共有するのが大変難しいものですね。肉体的なものにしろ精神的なものにしろ。共感はできるかもしれないけれど、実際の痛みというものは味わっている当人にしかわからない。

 恐ろしい体験というのもそうだと思うんです。特に金縛りなんてものは。

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 Nくんが中学生の頃の話です。彼、地方にある親戚の家へ両親と泊まりに行った晩、生まれて初めて金縛りにあったらしいんですよ。

 大広間に集まってお酒で賑わっている大人たちの一方、Nくんはお座敷に一人でお布団。慣れない枕でウトウトまどろんでいると、不意に体が硬直しちゃって。目も開けられない。驚いて心身凍りつくような気持ちの一方で、現代的というか妙に冷めている部分もあって。

 うわっ、金縛りって体が本当に動かなくなるんだ。たしかレム睡眠時に脳だけ目覚めるとなるんだっけ。疲れてると金縛りになりやすいらしいけど、今日俺、疲れるようなことしたかなあ……

 とかなんとか、自身の現状を分析していたらしいんです。

 すると、そんな彼の足元の畳を右から左にすーっと歩かれたんですって。足元の畳に微かに体重がかかる気配がして、擦るように。急に現れた気配はNくんの右側から左側へと音も立てずに移動すると、忽然と消えた。

 その足の持ち主は女性で素足だと。母親や親類のものではないと。Nくんは見てもいないのに、直感で悟ったそうです。

「うわーっ!」

 叫ぶと同時にガバッと体が動いて。彼は逃げるように部屋を飛び出すと、親戚たちが集まって酒盛りをしている広間に転がり込んだんです。

「お、どうした坊」

「いやそれが……金縛りにあって」

 一瞬シンと静まり返った次の瞬間、親戚一同大爆笑。

「はははははっ!!」

「金縛りって!」

「ひいじいさんでも枕に立ったか!」

「『わしにも酒をおくれ~~っ!』」

「わははははははははは」

 大人たちがゲラゲラ笑っている中、その家のお婆さんもにこやかに空になった瓶やら皿やら下げていてね。台所へそれらを運ぼうと何気ない感じで敷居のそばに立つ彼へ寄ってきて、耳元でぼそりと囁いてきたそうです。

「右から左だったか」

 笑い合っている酔っぱらいたちには聞こえないような、低く小さな声で。

 Nくんは「金縛りにあった」としか言ってないんですよ。にも関わらず、全部わかっている、とでも言わんばかりに、お婆さんはNくんをじっとりと見つめている。目つきも口調も冗談を放っている雰囲気ではないわけです。

「う、うん」

「ああ、よかった、よかった!」

 彼が戸惑いつつも頷くと、お婆さんは大げさに笑って台所に引っ込んで。新たに酒瓶やら盛り合わせやらを次々と運んできては、その場に呆然と硬直しているNくんの脇を平然と通り過ぎて卓に並べている。事はもう済んだ。そんな素振りでお婆さんはNくんの方を一瞥もしない。ドッと彼が冷や汗をかく中、大人たちはワッと喧しく酒盛りを続行している。顔の真っ赤な彼の両親も「早く寝なさいね」なんて言うばかり。

「な、なんなん、ここ!?」

 金縛りにあっただけでも怖いのに、お婆さんの問いかけ方が恐ろしくて。可哀想にNくん。その夜は一睡もできなかったそうですよ。




この記事は禍話で語られた怪談を元に作成されました。
文章化に際して元の怪談に脚色をしております。何卒ご容赦ください。

出典: 燈魂百物語 第三夜
URL: https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/342615224
収録: 2017/01/28
時間: 00:21:05 - 00:22:25

記事タイトルは 禍話 簡易まとめWiki ( https://wikiwiki.jp/magabanasi/ ) より拝借しました。